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【740】偏食五感のフシギ体験学習 [ビジネス]

 改元跨ぎのゴールデンウィーク2日目を迎えて、まずは訂正から。
 前回ほんっとに何も考えずにざぁーっと作文し、『大阪府堺市で大事な税金が億単位で行方不明』と書いているのだけれど、実はこれは言い過ぎている。
 正しくは、『前・堺市長の政治資金に収支の不明瞭なカネが億単位の金額で存在する』のであり、その政治資金が丸々税金資本の支出金で、それが行方不明だというハナシではない。不明瞭…というか当初は収支報告書に記載がされておらず、だとすると使途も怪しいし課税対象としてカウントもされない訳で、そこがマズいでしょ、というハナシである。
 どっちにしても良いワケないのだが、とにかく認識違いの論調で突走ってしまいました、ゴメンナサイとお詫びして、ここに訂正いたします。

 さて前回後半に触れた視覚認知機能について、もう少し検証を入れておきたい。
 眼球は迅速に動いて、的確な構図で目前に拡がる光景を画像としてとらえるのだが、視覚情報として自分が認知できる画像データのテンプレートのようなものを持っており、お決まりのデータのパターンに合わせ込む作業で、眼球が映しに行っているのではないかという仮説だ。これが当たっているのだとすれば、この定番パターンにハマらない画像は視覚認知されないので、その先の情報処理に乗っかって来れない。
 偶然に任せて飛び込んでくる画像データをゼロから正直に取り込むばかりでは、画像データの処理にかかる容量・速度が無駄に多過ぎるため、生物はもっと情報的に省力化を織り込みながら進化して来たのではないかと。

 私が真先に連想したのが、日本語文章の変換プログラムである。
 平仮名で語句を打ち込んで変換キーを叩くと選択肢がずらりと列挙される…というのは今や説明不要なくらい一般的な操作シーンとなっているが、開発初期はその反応速度のトロさが箸にも棒にもかからないくらい酷かったらしい。
 そこで一文字打ち進めるたび直近過去の変換履歴の記録ライブラリーを参照して、確か頻出順に選択肢としてずらりと列挙するロジックに思い至ったというのである。
 例えば今ちょいと携帯を取り出してメール作文モードにし、『あ』と打つと途端に『1.ありがと…』『2.明日』『3.あります…』などと選択待ちの板が表示され、『あい』と続けた瞬間に、これが『1.間』『2.愛』『3.相変わら…』と変化する。この勢いで反応するのは、『あ』あるいは『あい』の文字列に、ただ機械的に整合する直近記録を拾って来るだけだからだ。
 限られた語彙で似たような会話を繰り返す限り、恐ろしいまでのスピードで会話ができてしまうのは最近の若い子たちの手元を見ていればすぐわかる。もしかしてこれじゃないかと思い当たったのだ。
 我々は普段の生活において、見慣れた文字をいちいち初出対応の形状認識で新鮮にとらえ、記憶ライブラリーとのシラミ潰し式の同定操作を経て読解しているはずがない。

 音声データに関しても、同じような認識プログラムが働いているのではないかと思う。
 別に特殊な訓練など積まなくとも人間には、背景ノイズが交錯する渦中でも、狙った人の声や会話をフォーカスして聞き分ける能力があるという。
 物理学的に考えるなら空気の圧力波としての『音』は、いくつの音色がどんな位相で重なろうが、その結果としてひとつの複合波形になるだけのことであり、つまり耳に届いて鼓膜を揺らす押し引き代とそのタイミングが全てである。

 紙に第一象限の縦軸・横軸を描いてみよう。縦軸が鼓膜の押込み代、横軸が時間だ。
 横軸上に『逆V』を描こう。圧力波が耳に届き、鼓膜が一度押し込まれて戻った。いいね?
 次に上記『逆V』とぴたり同じ幅で、同じ高さのふたつ山で『M』を重ねて描いてみる。最初に描いた圧力波と同じ音圧で、2倍の振動数の圧力波だ。この『逆V』と『M』の高さを足し算しながら、新たにもう一本の線を描いていくとどうなるだろうか。
 真ん中の谷底が『逆V』の頂点に一致した、背の高い『M』の字が描けるはずである。アナタの鼓膜は、この『背高M』に沿って押し込まれたり幾分引き戻されたりした後、元の位置に戻る訳だ。

 この『背高M』の圧力波形で鼓膜が揺すられた時、アナタは『逆V』の音と『M』の音が重なったものだと認識できるのである。但し、アナタが過去に『逆V』の音色と『M』の音色を各々聞いて、記憶ライブラリーにそれらのデータが用意されている必要があるのだけれど。
 『あ、これ何て言ってるっけ?』と狙って耳を済ませる時、途切れ途切れにでも聞きとらえたターゲット波形の記憶を元に聴覚認識テンプレートが作られ、ナウ鼓膜を揺らす合成波形に整合させては、ターゲット波形成分を特定し、抽出して音声読解しているのだろう。
 これがオッサン声『撮ったのかよ』vs子供声『デイ・アイ・アイ』のダブルイメージ音声の正体だと思う【181】
 上記の原理によって、周波数=音程に結構はっきりと差がつく二通りの聞こえ方になるのが解るだろう。ほぼ同じ声色で全く別の台詞というのは、合成波形が作れる以上は一応起こり得るのだろうが、何か相当に各々条件を整えてやらないと、極めて区別が付きづらいはずだ。

 で、再び視覚に話題を戻して、記憶ライブラリーに二種類の視覚認識テンプレートが揃うなら、ドレスの色が『白と金』vs『青と黒』の二通りに見えたりもする訳だ【361】
 これ両方の色でそれぞれ見える方ならお解りだと思うけれど、何というか、目前の現実として存在するドレスが『白なら白・青なら青』で、そもそもっからホントに違う色の生地なんだよな。『何色に見える』とかいう問題じゃなくて。
 双方の服地を各々の光環境のもとで見た実体験の記憶が揃わないと、このダブルイメージの往復は楽しめない。ウン、当時の私の推測は、聴覚も視覚もだいたい当たってたな。

 ついでにもうひとつ言及しておく。ハリウッドスターなど美男美女の顔写真をたくさん用意し、無作為に横2枚に並べた画像を何枚も作る。これをせいぜい1秒以内の間隔で次々と映し出すのだ。2枚の写真の中間点を凝視し続けると、どんどん映し出される美男美女の面々が醜く歪んで化け物のように見えるという錯視実験があるのを御存知だろうか。
 恐らく、左右の目は同一人物をとらえる前提で視覚認識プロセスが入力待ちするのに対して、全然違う人物の顔が左右の網膜に別々に投影されるため、画像を正確に情報処理のステップに乗せられなくなって混乱し、左右の視覚を一致させようとする修正過程が画像を歪めるのだと思う。

 そうそう父もそうだったが、意識がしっかりしていて思考できている人は、寝たきりで言葉を失っていても目の動きで判るのだ【100】
 う~ん、ここまで考えられたんだから、そろそろ『あ、こうやりゃヤク離脱過程でも効率落とさず仕事できんじゃん』みたいな方法論を思い付いても良さそうなもんなんだがなあ。
 ともあれ、こんなことにでもならなければ絶対に得られなかった知見である。文句たれず平成いっぱい、残りも頑張りますかー!
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【739】思考のひとときヤミ鍋具材集 [ビジネス]

 衆院補選はバッチリ狙って予想した通りの結果ってことで、選挙の話題は一休み…と思いきや、大阪府堺市の市長選が6月早々に決まりそうだ。前・堺市長がいきなり辞任してしまったからである。
 ヤク離脱の話がしたいが、連休前にちょびっとだけ政治のトピックを駆け込んでおこう。

 ざっくり解説を入れておくと、前・堺市長は橋下政権時代に大阪維新に取り入って、その勢いを借りる形で当選した。ところが当選後に態度を翻し、大阪府の中でも大阪市の真南に隣接する堺市から、声高に大阪都構想反対を叫ぶようになったのである。これには大阪維新以外の政党どもが軒並み擁護に喰い付いて、反・維新勢力の牙城を築くに到った。
 いっぽう大阪都構想の直近ステップは当面のところ、『大阪市の枠で囲まれる面積』を特別区よっつに割り振る工程に限られているため、近々には堺市長の反目が直接の妨害工作として立ちはだかることはなかったのだが、もちろん中長期的な見通しが平穏であるはずがない。

 こんな背景において、前・堺市長の政治資金の収支管理がどうにもさっぱり不透明であることが発覚し、億単位のカネがどこからどう渡って消えたのかも今のところ不明である。
 一応は本人から辞任を申し出た流れなのだが、新たに堺市長を選び直さねばならないのは当然だとして、問題は大阪維新以外の政党が、ウヤムヤな前・市長の政治資金が実はどうなっていたのか解明せず、積極的にナイナイのパーで不問に終わらせようとしていることだ。
  『大阪府堺市で大事な税金が億単位で行方不明。維新以外は未解明で決着させたい』
 こんな現実を放置して良いのか、何故こんなことになったのか、堺市民のみならず我々日本国民として各々の立場でどんな行動を選ぶべきなのか、この連休で生活ペースがゆったりする間に改めて考えてみていただきたい。

 …と政治のトピックはここまでにしておいて、長らくお預けにしていたヤク離脱の件を。
 平成の終わりをもってちょうど満6年半を迎えるのだが、残念ながら改元と共に離脱完了には到らなそうだ。まともな完遂の記録が見当たらないだけあって手強いね、さすがに。
 もっとも『頭の中の回線を全て引きちぎられ、基板を叩き壊されたかのような』自分の情報処理機能の瓦解に困り果てた昨年の冬=満5年目に比べれば、随分と進展はしている。

 やはりというか、まず心臓は身体の中心なんだろうな。今なお心電図の『完全右脚ブロック』状態は続いており、つまり私の右心房は圧送機能を取り戻していない【640】
 心臓付近が減圧される感覚もちょくちょく襲い、胸と背中のちょうど心臓の位置が正直にかぶれては消えていく。なるほど。
 だが実はここで本当に気を付けるべきは、心臓の血液循環機能の低下による筋力の瞬断であった。

 高架駅のすぐ手前で電車がホームに入って来るのを見つけ、急いで改札をくぐって階段を駆け上がった時のこと。実に半分まで登ったところで突然に電池切れになってしまい、スパートしたい意図に反して足が全く上がらなくなる現象を自覚した。おっと、これは情けない…という話ではない。
 こんな状態で転倒したらタダでは済まないから、意識して大袈裟に注意する必要がある。今の私は停車中の電車を早々に諦めて見送り、悠々泰然を決め込んで次を待つ品行方正な乗客となっている。

 まだ耳の奥が何かやられているだけあって断続的に鈍痛もあり【633】、これが位置的に目の奥ということにも、場合によっては脳の一部ということにもなる訳で、どの要素がどんな繋がりで効いているのか詳細は不明なのだが、このあたりが何となく視覚情報の処理に関わっているようなのだ。

 具体的には、視点の移動が通常のスムーズさをもってやれなくなる。電子新聞の記事の見出しをクリックして、普段なら左上からパ・パ・パ・パ・パッ…と直線的かつ鋭角的に文面上を飛び移っていく視点が、まるで水飴に突込んだ割り箸を横に引くように『うにゅう~…うにゅう~…』と数文字よれよれと進むばかり、数回もがいた時点で画面から目が離れてしまう。少し繰り返してその記事を諦めたは良いが、直後にまた同じ見出しをクリックしてしまい、それが二度や三度で済まずに何回開くやら。
 もう受信トレイを俯瞰して、タイトルを確認したつもりの判断手順を踏んで、でもその後にナニがどう見えていようが、ダブルクリックするのも機械的に廃棄するのも、ただの偶然任せだ。こうなったら問答無用でメール処理を自制する他ない。さすがに『後悔先に立たず』の諺ぐらいは知っている。
 因みに、カーソル位置の一点凝視で進む作文作業の方は、驚くほど悪化しない。

 1年前は激しい炎症熱と顔から吹き出す滝汗でそれどころじゃなかったのだが、もしかすると眼球の動きが機械的に阻害されると、定番パターンの映像情報を次々自在に網膜に投影できなくなるため、意識機能が標準パターンの情報処理待ちでスタンバイしている入力プロセス・演算プロセス・記録プロセスに乗っかって来ないとか、そんな通信障害モードになっていたりしないだろうか。
 水晶体があって網膜がある限り、焦点を結んだ映像はとにかく網膜上に映るは映る。だがその映像が情報処理の第一段ステップに乗るかどうかは、記録ライブラリーに既存する『認知すべき被写体』の定義に整合するかどうかで、取捨選択されているのではないか。
 こうすることにより、生物が視覚を駆使して生きていくにあたり、そこで発生する情報処理量を格段に軽くすることができると思うのだ。何しろ動画のデータは重くて処理も記録もタイヘンな負荷がかかる。
 聴覚・触覚は全生物共通で備わっているが、モグラくんにコウモリくんや深海魚たちなど視覚不要の生活を送る生物たちは、さっさと目なんか退化させているんだもんな。生物にとって、そりゃ可視光空間での生存競争を戦い抜くにあたって圧倒的に有利にはなるけれど、わざわざに視覚を備えるというのは、決してラクな機能進化ではなかったのだ。

 ん?AI画像認識のディープラーニングって、現状の設計思想で当たってるんだっけ?

 うわ~前々回の失敗から全然学習してないじゃん、またしても超・散逸的な断片トピックのヤミ鍋回になっちまったい。分割して1回毎の仕立てに書き直すのも今更ナンだし、今週末には違う新ネタを幾つも抱えているのは間違いないから、このままGOします。
 まあいいや、こんな回もあるさ。悪しからず♪
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【738】何となく当たり前、見直して見切って見限って [ビジネス]

 とりあえずは今晩の結果めがけて、今日の選挙戦のダメ押しなどやっておこう。
 しかしまあ、もう末期症状というにも前代未聞・空前絶後の不連続的次元超越レベルにまで行っちまったもんだよ。
 世襲のガキが大阪で有名なお笑い喜劇舞台の壇上に飛び入りして、関西に媚びっ媚びの三文セールストークやらかしたって?今さらながらに呆れるよ、ホントにこれが日本国での出来事か。
 ここを始めて間もない頃、自覚の足りない一部の国会議員がテレビ屋にそそのかされて、下衆な時代劇仕立ての遊びごとで露出を増やして人気を取ろうとしたものだが【142】、アレより遥かに格下のドサンピンぶりである。

 返す返す、日本社会における政治の概念を抜本的に変えるべき時期に来ている。
 そのために、従来『政治とはそんなもんだ』としていた常識の概念を一掃したい。

 ある日、半島か大陸の方が向いている『日本列島にそぐわない人種』の赤ん坊が、間違えて本州の西の端っこに生れ落ちてしまった。
 で、そいつから遡って爺さんの代に、かつて改憲しようとして叶わなかったという過去が、たまたまあったんだな。日本国にとっては運のつきであった。
 この爺さんは『お国を動かす地元の名士』という立場だから、直近にくっついて取り巻きとして生きるのも結構な大勢がいたのだろう。この取り巻き連中にとって、間違いだかどうだかは関係なく、生まれ落ちた赤ん坊を世襲にして名士に祭り上げてしまえば、また同じ業態で暮らしていけるワケだ。
 こうして名士としての資質とは無関係に『政界のサラブレッド』がでっち上げられる。
 蓋を開けてみれば、その実態は『本州の西の恥』という種明かしもあったりする。

 まだ日本社会の隅々に均等な民主主義が行き渡っておらず、議会政治も一部特別な社会層でのみ構成されていた時代があった。その古い時代の政治家の身辺事情が、適性の保証も無い一介の赤ん坊を不釣り合いに政界に連れ込んでしまったりもしたということだろう。
 何でもかんでも世襲が良くないとはゆめゆめ言わないが、時を経た議会制民主主義の現代日本社会において、上記の通り世襲議員は自分自身の不適格要件を自覚・対策しづらいまま、取り巻き連中の都合に押されて踊らされがちになる宿命を負う。この一点において、世襲議員は政治の劣化の原因として作用しやすいハンデを抱えるのが解ると思う。

 日本社会の大半が情報弱者だった昔なら、国費事業の均等配分も個室化した議会の判断に委ねられたまま大衆からアンフェアを指摘されることもなく収まっていたろうから、直近の取り巻きに終わらず地元の名士の周辺には利権頼みで生計を立てる連中が大勢いたはずである。『地元テッパン』の支持基盤にゴリッパな肩書の身分をあてがわれ、見返りに地元に利益誘導して生き延びる形式の、前時代式ふるさと国盗りゲームみたいな政治はこうして長期定着したのだろう。
 それが選挙権の一般普及した現代情報化社会においてなお、選挙票と地元業者利得の交換取引で身を繋ぐ生存原理だけが残骸になって残っており、『政治なんてそんなもの』の定番として日本社会に記憶されているのだ。情報の高度化で隠しきれなくなった地元えこ贔屓のアンフェアを、摘発されていかに隠し通せたことにするか、いかにとぼけて無かったコトのテイで演じ抜くかが地元の名士のお仕事になってしまっている。
 先日、地元テッパンを前に我を忘れて鼓舞してしまったとかいう『世襲のガキ・セメント屋道路』の犯行計画なんかベタすぎて今更ながらに驚くばかりだ。まだこんな世界が社会の水面下に沈殿しているとは。

 自分の地元でも似たようなことになってる気がするアナタは、今日そして明日以降、まず選挙権をきっちりと行使するところから始めるべきだと思う。
 まだまだ日本社会全体に、『誰もがジブンの地元優先を望むのは当たり前、トクさせてくれることになっている常連候補に投票するのは当たり前、それで決まるんだから気が向かなければ棄権すればいい』みたいな、選挙権普及以前の下民気質で思考放棄する慣習がしつこくこびりついている。白票で構わないので、終止符を打つべきだ【735】

 もうひとつ旧態依然の奇妙な常識について是正を提案しておきたい。テレビを見ていて仰天するのが『ゲタ与党は、勢力基盤であるナントカ学会に協力を求め…』などと平然とナレーションされている事実だ。
 既に何度かやってるので改めて細かいハナシはしないけれど【592】【606】【626】【653】、『政教分離の原則』に対する直球ストレートの違反事例だぞ、これ。

 まず誤解の可能性を解いておこう。
 私は宗派を問わず『社交的な幸福感の拠り所となる宗教心』を否定する人間ではない。古今東西の宗教画や書物や教会音楽などなど、むしろ精神力開発・世界観構築・文化創出の目的意識体系としての宗教の価値は、他の何物にも代えがたい貴重なものだと考えている。
 『幸せでいたい、世の中のためでありたい』と願う、人間の大切な動機を実行動に具現化する人類の知恵なのだ。

 だからこそ万人に自由に選択されながら、その政治利用だけは絶対に避けねばならない。
 祈祷や信仰の本来目的を正しく理解し、『信心を通じて平和で幸福な社会の実現を願う』学会員を自負しているアナタは、会組織の一端を担うイチ会員として、日本社会に建設的に関わる行動をきちんと考えて、みんなとしっかり相談して決めるべきだと思う。
 ともあれ当該本人さんの心に鋭く突き刺さるハナシなので、理屈はともかくこのへんで。

 以上、今日はこれで結果を待つとしましょうか。
 まだ選挙権の無い若い子たちは『自分なら誰を選ぶか』決めてみて、選挙速報で答あわせ(?)しても面白いと思う。いったん選挙権を持ったら、自他は完全に自律行使でお互いの強制・干渉は御法度だぜ。
 今年は日本社会をここまで壊したバカな大人どもの古くさい政治観と慣習を、理解して確認しながら改めていく絶好のチャンス、逃さず楽しんで勉強しておこう。あなたがたの時代だ!
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【737】消えた未来と不都合な現実のチェックリスト [ビジネス]

 ノートルダム大聖堂が火事を出してしまった。建物が崩れる光景はいつも悲しい。

 自宅の近所で廃墟化していた長屋が取り壊されるのを見かけるにしても、その断面に見える床の間や柱が夏の夕風吹き抜ける和室の心地よい佇まいを想像させる。ちゃんと目的を持って大工さんが建て、人の生活の時間が流れていた。
 そこに囲われていた居住性の空間が終わる姿だ。誰も、もうそこに身を置いて時を過ごすことはできない。

 私はノートルダム大聖堂に行ったことが無いのだが、今般の映像を『ああ、あのへんは木造だったのか』と少し驚きながら見ていた。もっとも、さすが洋式の大型建築というか基礎構造の部分が石造りになっており、そこは火に強かったようで、貴重な収蔵物も相当数が焼失を免れたのは何よりである。
 再建の寄付金がどんどん集まっているようだし、マクロンさんの言葉通り本当に5年以内で完了したなら新たな逸話でその歴史を飾ることができるだろう。早く明るい知らせが聞けますように。

 さて次の週末までは、とにかく日本中の選挙で現状打破の流れを押しまくるとする。
 要点は、第一に大阪の成長を止めないこと、第二に現・国政の与党二党を否定すること。

 無論これになびくかどうかは各自の自己判断だとして、選挙権行使にあたり、その回答をストレートな表記で反映させられない方は、棄権したりせず『まだ見ぬ当選者に、住民相手の丁寧な諮問意識を持たせ、慎重に議会運営させるため』、その要求の意思表示となる白票を投じることだ。
 今や日本国政は外交も内政も、安全保障も産業振興も、全方位ですべからく壊滅的危機があからさまであり、とにかく現状と違えないと破滅が確実の局面にある。

 敢えて、ちょいと政治ニュースの個別トピックから離れてみよう。
 このサイトを始める以前の十数年前にまで遡って、私は『社会組織の一要素として平然と帰属しながら、その社会組織の生命維持の一端を担う本能が失われる現象』に薄々気付いていたように思う。端的に、組織の仕組みに身を委ね世話を焼かれながら、平気で組織と噛み合わない我を通す『生命ロジック喪失型の壊れた人間』がちょびちょび出現し始めており、これがただの出生確率によるものではないんじゃないかと、いま思えば直感していたのである。
 だがまさか平成の終わりに、国内外双方の観察眼に晒され、これほど孤立するまでに極端な姿で、よりにもよって日本国政のスタッフ業域がそうなるとは思ってもいなかった。

 妙なハナシだが、例えば『何かの業績にあやかって、自分が幅を利かせている一部関係者だけ相手に私欲を押し通す』みたいなトラブル形態は、それほど深刻なものではない。
 この当事者は組織あっての人間関係を利用したのであり、組織が知ってか知らずかその悪事を現実の一端として廻している限りにおいて悪巧みが成立しているワケで、要はこいつにとって『組織がなくなってくれては困る』と意識されているところがポイントである。
 従ってこれを摘発したとして、納得するかどうかは別にして本人の身の程を解説し思い知らせてやり、『みんないてくれないと困るだろう、その中に自分も仲間としていられないと困るだろう』、これらを前提としてその場の処置や善後策の議論ができるのである。
 『組織に暮らす同胞』として、コトの落としどころの共通概念が存在する訳だ。ある意味、素直なトラブル形態と言える。

 ところが、みんな=組織が現実として受容れられず、自分を含めて何もかも崩壊してしまう結末をも厭わない、自爆テロ型の動向で問題を起こす人種が出てきた。不思議なことに自分にも組織にも、崩壊後のことに一切意識を向けないため、当初その対処には手を焼くばかりであった。
 種明かしをすると、これは当該問題児が何らかのパワーダウンに見舞われ『組織に生きる自分の将来像』が失われて起こる現象であり、更に組織の健全性維持を諦めて問題児を看過する周辺人員もまたパワーダウンしているのだ。組織全体の生命力が落ちている中で、未来を見失った個体が自滅を先導する構図である。
 だからパワーダウンしがちな高齢化ニッポンで、我々国民の選挙権行使の思考力・判断力にブーストをかけ、自爆テロの発生源を可能な限り否定するという方策を提案している。御理解いただけるだろうか。

 …とここまで書いたところで突然テレビの情報に引張られるのだが、おやまあ、やっぱりというか消費税率アップの延期がチラつき始めたって?こりゃ本当なんだろな、やれやれ。

 以前にも述べたが、消費税率10%やりまーす!は税率計算の数値を変えれば済むとして、軽減税率の痴呆制度だけは現実作業のさばきようが無い。
 例えば『補助金つけます、おトクです』の詐欺広告にまんまと乗せられて軽減税率対応のあほレジ機まで用意したとしても、そもそも売る人間も買う人間も目前のカネをどう処置して良いのか概念がはっきりしないので、安心して機械に作業を預けることなんかできない。商品と代金を交換して、それで解決したと一件落着できないのだ。
 経済が現場作業につっかえて更なる景気低迷を呼ぶ以外の展開は無く、おまけに真面目な国民の納税意識も明快な現実解を失って荒廃し始める。税率いくつだとか、税理作業が適切かどうかだとかいう議論ではなく、のっけから税制として現実にならないのである。

 設備予算・導入計画の恐ろしいところは、原則ナニか決めてしまうと、それに対応するナニかが起きてしまうことである。執行を停止するなら早ければ早いほど傷は浅い。
 例えば『10億円で惑星力ロボを導入』と決めてしまったら、『惑星力って何だ?』『何の役に立つロボットだ?』『それって本当に動くのか?』などなど子供でもマトモに取り合わないような問題に、優秀とされる大人たちが四苦八苦して精いっぱい良心的な解釈で答をこねくり出し、とにもかくにも事業としてウソにならないよう10億円をかけ、年度末には現実にナニかがそこに存在してしまう。
 そいつは予算を投じた実績であり資産となるワケだが、もちろん結局は丸々10億円を何の役にも立てずに捨てただけであり実質大損害。その真実はみんなに周知されながらも、無慈悲にモノだけが存在し続けるのである。
 大ウソを根拠にした消費税率アップもあほの軽減税率制度も、それに絡む異常なムダ付帯措置の数々も、このまま放置すれば『どうしようもない現実の成れの果て』を迎えるのみだ。

 あちゃーこりゃ参ったね、とんでもない支離滅裂の回になってしまった。まあ悪い方向のハプニング情報ではないから良しとしようか。こんな回もあるさ。
 ともあれ、これが日本国運営の迷走の仕方として十分に納得できるかどうかを今一度考えて、今年はきっちり選挙権行使して参りましょうぜ♪
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【736】今昔情報兵器の作戦稼動コスト [ビジネス]

 訓練中の空自F35戦闘機が落ちた。悪天候でもなかったようで、F35としては世界初の墜落事故だという。
 軍用機の事故率は、旅客機のそれに比べて当然だが随分と高い。さらに運動性を追求した戦闘機は、宿命的に不安定な飛行特性の素性となるから、小規模のトラブルがいきなり墜落事故に繋がりやすいのだ。

 旅客機の主翼は左右両翼端に向かって上り勾配がつけられており、つまり正面から見て胴体が一番低くなるV字型となっている。これを『主翼の上反角』と呼ぶが、簡単なハナシ揚力の発生分布に対して重心を中央低めに置くことになるので、操縦桿手放しで普通に直進に落ち着こうとする飛行機になる。
 一方ジェット戦闘機の主翼はキホン逆向きの下反角がつけられている。運動性を高めるため、安定とは逆方針の設計思想になっているのだと理解しよう。機種によって幾分事情は異なるのだが、かなり以前に『F16は航空力学的に不安定な特性の機体をコンピューターの自律制御で支えており、従ってコンピューターが止まると墜落する』と聞いたことがある。
 そんな故障に陥って緊急脱出するにしても、なりゆき挙動の高速飛行中にキャノピーを吹き飛ばして搭乗員は空中に撃ち出されるのだ。全てがうまくいってパラシュートまで開いたとして、どこに降りるかに選択の余地は無い。戦闘機の出動というのは戦闘目的でなくともハイリスク・高コストなお仕事なのである。
 そこまでして追求した運動性能はタダゴトではなく、現代の有人戦闘機の挙動限界は、搭乗員の医学的・生物学的な強度限界で決まっている。全身を鍛え上げ熟練を重ねた特別な搭乗員が、生きていられるギリで操縦する飛行機なのだ。

 こんな事実をまず頭に置いておいて、だからこそ、その信頼性はできる限り高めておかねばならない。お国を守るための極限の飛行で落ちる時には落ちる、だが1機あたり100億円以上もするF35だから、その採用と運用には徹底した慎重さが必要となる。
 この一件で少々驚くのは、現時点でまとめて105機ものF35導入が計画されていると報じられていることだ。確かにF35は汎用性が高い多目的機であり、垂直離着陸が可能な派生型もあるので、吊るし販売の戦闘機の購入でもって我国の防空戦力体制を組むのなら、悪くない選択だと思う。
 だが紛争勃発など喫緊の戦闘機増強ニーズも見当たらないのに、この導入初期段階で105機もの一括購入計画はないだろう。
 何か事故が起こる度その内容に関わらず、自分が搭乗当事者を強いられる訳でもないのに『危険、危険』『軍事力ハンタイ、戦争ハンタイ』と騒ぐばかりの基地問題もどうかしているが、『持つべきチカラ』を持つにしても、『使えるチカラ』を釣り合う金額で導入しなければ意味が無い。

 軍事力に関しては、一般社会にあけっぴろげに開示できないことも多く、それは仕方なくもあるのだけれど、多少このテの知識がある設備計画経験者としては、どうにも理解しがたい事態になっていると言わざるを得ない。
 冒頭のF35事故については、搭乗員の安否を始め、まだ詳細が明らかになっていないので滅多な事は言えない。しかし現在進行中のF35導入計画はいったん保留し、本件の経緯や対策要否を徹底調査した上で、今後のことを再検討すべきだと考える。

 端的に、日本国財務が死ぬ程の、というか既に何十回も死んでいる程の破綻状態にあるのは御存知の通り。自国の内需ループを半ば強硬に明確化し、直近の短期的にでも、いの一番に自国内経済の制御精度向上を図ろうとする北米に対して、こんな超高額の大量購入を見切りで約束するような理由はどこにもない。
 いや、国家安全保障の重大要件として北米と親密でありたいのは間違いないが、100億円×100機=1兆円規模の輸入を敢行するなら、『相応の情報処理を経た上での判断である』と日本社会に納得されるよう周知するのが国政というものだろう。
 何しろ今年度予算は『大台100兆円超え』だとかいうデタラメなことになっており、一応【578】時点でのハナシではあるが、これに対して日本国の税収はひと声で50兆円しかないのである。
 …ま、この税収にしても万年ウソつき統計で経済機能カラッポ国家のこの社会じゃあ、どうにかケタは合ってるだろうからコトの深刻さに疑いはないでしょ、ぐらいしか言えないんだが。

 世界経済の減速はとうの昔に予測ではなく現実のものとなってきている。今ぱっと思い付くだけでも、英EU離脱の悶着は欧州の生産力を喰い潰す非・生産性の経済マターだし、その反対に例えばアフリカ大陸やグリーンランドの原野あたりで、超・低コストの生産稼動拠点がザックザックと超高額商品を吐き出す経済成長新アイテムの噂なんぞ、とんと聞かない。全ては従来比で、『生産』が減じる一方の出来事ばかりだ。
 『日本の政治は10年遅れている』に始まり、何もかも日本がダメで外国がちゃんとしていると頭ごなしに断じるつもりはない。だがそれにしても、各国なりの世界景気減速に伴う施策と見比べて、日本国の自爆テロ非国民犯罪者政権がレイムダック状態で悪あがきに散財する姿は、明らかに数段もそれ以上も落ちる・堕ちる。
 どこのマスコミも、他国の政情不安定をさもタイヘンそうにあげつらって批評し、それが及ぼす景気の悪影響がどうたらこうたら、しかし肝心の日本国政の惨状については一切触れようとしない。箝口令か?忖度か?

 私の母は大東亜戦争の終わり頃、隊列も乱さず悠々と引き揚げていくB29の大編隊を見送った翌日、新聞の見出しに『敵機ハ西方ニ遁走セリ』と書かれているのを見ていた。それでも日本が負けるとは最後まで信じていなかったのだそうだ。何故だかはよく解らないという【458】
 だからパール判事は『広告には気を付けなさい』とおっしゃっているんだろうな【307】

 ひとつ判っていることは、今こんなヤバい日本社会の現状に、僅かでも関わっていそうな党名や個人名を見つけたら、そのへん片っ端から撃ち落とすチャンスこそ今年の選挙だということだ。
 『違う日本社会への未来突破口』は、みんなの一斉射撃で初めて開くのである。
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【735】日本全国オンラインの未来攻略ゲーム大会 [ビジネス]

 『ゲーミフィケーション』という言葉がある。物事への取り組みをゲーム仕立てにすることで、当事者は得点を上げたり勝敗を決したりする楽しさを自然に感じながら、業績アップを追求できるようになる…とするコンセプトのことだ。

 まあいいや、いきなりゲーム開始!
 今年は選挙が続く年だが、ターゲットは『日本社会の政治を変える』ことである。

1.『今と違う日本社会』の具体的事実となるのは、大阪都構想・特別4区再編案
 イチ議会で受け持つ住民規模のスケールを変えたビフォー・アフターで、『わからない政治→わかる政治』になる効果を体験確認する。そこから適宜『わかる』化の応用検討を交えて全国展開を図る。

2.その先行検討機能を担い、IR導入で日本財務の改善も狙う現物ツールが夢洲人工島
 他例なき超々粗悪底なし沼の日本財務だが、カジノによるまとまった外貨獲得で負債返済の反撃に転向し、『諦めた破滅財政→諦めない健全化財政』への社会風土転換を、事実ベースで巻き起こす。

 我々一般庶民が洩れなく有する選挙権を使って、上記を成功させる。今年は日本全国で選挙がたくさんある年なので、『みんなで攻めて、どれだけ勝てたか』を次々と確認しながら次の策を講じるエンタメ展開にはうってつけだ。
 全国みんなでやるからには、解りやすくしておこうか。
 まず選挙の候補者として、上記ターゲットに直結する選択肢がある場合には、すんなり自分なりの回答を決め、帰宅後に選挙結果を追っかけるところまで簡単である。直近では4月21日に大阪12区衆議院補欠選挙があるので、当該地域の有権者さんたちは早速第二ステージに突入できるだろう。
 一方、去る4月7日には『大阪って選挙が面白そうでイイなあ~』なんていう声が上がっていたりもした訳で、確かに候補者ポスターを俯瞰してみてもほんの少数しか候補者が立っておらず、しかもウンザリするほど悪い意味で見慣れた政党が推したような、でもどこの誰だかもよくワカランような知らん名前しか見当たらないケースも多かったことだろう。
 『あ~ウチの選挙区、面白くねえ。選挙行くのや~めた!』ではない。やはり日本全国の隅々にまで、党の推薦が行き渡っているが故の『与党』『第一党』だったりするのだから、まずその現状からしっかり確認しよう。そこから面白くしてしまえば良いのだ。

 この場合の基本コンセプトとして私は『現・国政の与党二党の否定』を提案する。御参考に。

 国と地方の関係性その他、細かいハナシは抜きにして、いま現在とにもかくにも日本国政をこんなデタラメな惨状にしちまってるような政党ふたつ、もうイヤでしょうが。
 国民の血税を地元の公共事業に利益誘導で落として政権基盤にするとか、おかしな税制を仕込もうとして現実と折り合い付かなくなったまま無策で放置とか、あっちであんなネコババやってたのが問題だ、こっちでこんな失言したのが不適格だ、国家運営のため本来すべきことの議論もなければ、実際やったことの成果・損害を表わす数値もない。
 こんなボケ老人の遊びごとしかやらない・できないの与党二党は解体・抹消とし、日本国という組織生命体の生存活動を執り行う人間で入れ換える必要がある。手が付くところから一刻も早く。

 そう、支持したくない候補者だが他に選択肢が無い場合、『白票』を投じればよろしい【687】
 我が国の選挙では、必ず投票総数の母数をとって投票率まで明らかになる。その数値が公表されるからには、そこに大事な意味が読み取れる。つまり情報兵器になるのだ。

 その候補者は有効票の最多数を集めて当選するかも知れないが、無効の白票に籠められた『有権者としてきっちり投票はする、だがオマエじゃねーんだよ』の意思表示を多数背負うことになるから、迂闊な自分勝手はできなくなるってことさ。『最多数により当選したが、所詮は少数派』ってことだから、どんな政策もまず住民全員に諮るのが原則となる。
 今まで政治に興味なかったし急にマジメに投票するにしても自信がない、人選間違えて投票しちゃって後悔するのが怖い…という方には、あんまり安直には勧めたくないが、ギリまで考え抜いて決心できなければ、まさにこの『白票攻撃』である。『迷い尽くしたら白票』、棄権してしまうよりは断然いい。

 先の2019地方選・第一幕では大阪維新が圧勝をキメてくれた。
 ここでも長らく応援していた橋下政権は、利権乞食の損得取引や痴呆役人の威張り合いを排除し、大阪府市組織の運営のためにすべきことをロジカルに整理・実行したものだ。その意志は引き継がれ今なお進化発展中であり、だから大阪が抱えた負債は松井・吉村政権になっても大幅に返済が進み、ムダに作ってしまった夢洲人工島を収益にさえ転じさせる2025大阪・関西万博までもが現実のものになろうとしているのである。
 お伽話でも慰め言でもなく、ガチ現実として良いコト・良いモノが大阪で起こり始めている。

  『大阪の成長を止めるな。』

 このキャッチフレーズは日本全国で共有し、日本全国から有効打で援護射撃するには格好の合い言葉だろう。現状こんな日本国の政治を良いと思っていない方々、まずは『大阪プッシュ、国政与党撃沈』に火力集中で選挙をさばきつつ、コトの行方を追いかけてみてはいかがだろうか?

 最後にちょびっと余談を。
 新元号の『令和』ねえ、日本人なら不謹慎を感じて否定的な評価は避け、努めて好意的に解釈するはずではあるが、それを考慮しても国内外で少々言われちゃった感じだ。
 このタイミングでこの漢字じゃあ『無能政府が隷従して鎮まれの意を籠めた』と解釈されるのは当然だろう。今さらだが『礼和』にしときゃ、必死で弁明している”Beautiful harmony”に馴染んだんだよな。

 もっとも個人的には、いずれ『令和』は時代に似合ってくると考えている。
 シンギュラリティ時代を迎えるにあたり、『誤作動しかしない老衰人治』が排除され『最大多数の幸福としてのAI効率化』が進み、『人間+AI=酌むべき社会の総意』なる方向性に我々は導かれるスタンスになるような気がするのだ。もちろんそこでのAIは人間にとって敵や支配者ではなく、新社会で共演する『ランブル協調』のイメージである【733】

 そして我々はもう大阪にその起点を実現している。さあ、今年の選挙は面白いぞー!
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【734】語り継ぐ『教科書に載らない社会科』 [ビジネス]

 私の小学校後半時代の担任の先生は、『日本の政治は10年遅れている』とよく話してくれたものだ。昭和50(1975)年前後の当時、小学校の授業時間フツーにそんなハナシがされていたというのは面白い【458】【459】

 当時の国家観・政治観が実にシンプルで、それが最終的なものではないにせよ目指すべき『正解』みたいなものが実在しており、未熟な日本国はまだそこに向かう途上にあるという構図が窺える。
 うっすら記憶にあるのは、欧米社会では日本に比べて『世の中はこうあるべきだ、こうしたい』という気持ちを各自がハッキリ持っていて、そこらの普通の大人を捕まえてしゃべらせれば、日本の大人みたいに他人任せの知らぬ存ぜぬはあり得ない…みたいな話の流れだったことである。
 それにしても『正解』からの遅れ代が僅か10年だというイチ教師の自覚は、高度経済成長期にあった日本国が、追いつけ追い越せの希望に溢れていたことを物語っているのではないだろうか。

 この見識は子供心に少々不思議で、みんなで暮らすこの世間の事はみんなの納得で決まっているのが当たり前のはず、そうして決まったこんなに何もかもフツーに動いている世の中に、あれやこれやと違う理想論を唱える大人たちが沢山混じって構成される社会なんか想像もつかなかった。平穏無事である以上は、そこそこ誰が見てもおかしくないルールに従って、みんなの積極的な合意が取れているものだと信じ切っていたのだ。
 『社会全体でみんながならう決め事に、誰かが悪い気を起こすことなどあり得ない』、これを自明の世界観として生きていたのは、恐らく私だけではなかったと思う。後に私は随分と大人になってから、それがいかにも日和見な全員幸福社会の産物だと知ることになるのだが。

 欧米文化は、ぶつかり合う拡張志向の権力が国家組織の内向きに働いて、一部強者の『言ったもん勝ち』で強制される不平等な階級制度が慢性化していき、そのうち遂に理不尽な負担を強いられ続けた被・支配側が、個人パワー×被・支配層人数規模の組織力で実力行使に出て勝利し、民主主義の成立に到ったものだ。だから『自らの自由は、自力で勝ち取る』という生存欲求の原理が、社会組織の自我に実感をもって記憶されている。
 ほら、ガッコの教科書でも『革命』と言えば何となくフランスあたりがいっぱい出てきたくさいではないですか。ああいった史実も『自分と何ら関係の無い、昔々の外国のお話』としてしか我々は理解できなかったのだから、今の大人世代がいかに手放しで窮屈のない幸福感に恵まれて育ったのかが解る。

 改めて考えてみれば、倫理社会にせよ世界史にせよ『社会』という教科で、民主主義の正確な意味を、その成り立ちの史実を交えて本質的なところを解説し、きちんと子供世代の実感に響く理解まで保証するのが本来の義務教育であろう。
 我が身を振り返って、年号や史実の呼称で回答用紙のカッコを埋め、時に『コレコレ主義とはカクカクシカジカな思想体系である』みたいな一行解説文まで書いていたのに、それらの全ては『自分が暮らす日本社会をどうすべきか、どうしたいか』の自覚=社会人としての意識要件とは糸屑一本も繋がっていなかった。
 まあ日本社会が終戦からの立ち直りに全力を投じる未完成期だったこともあり、あの当時の現行社会を本格的に変えたいと考える連中はガチ『本気で社会転覆を目論む』というスタンスに自然となっちゃってたから、『日本社会をどうすべきか、どうしたいか』の議論が必要以上に危険物扱いされていたという面倒な巡り合わせはあったかも知れない。若者が自由に未来社会を語れない風潮だったってことだな。

 例によって余談を挟んでおくと、くだんの私の小学校後半時代の担任だが、あさま山荘に立て籠もったメンバーの一人を学童時代に受け持った先生と同僚だったのだそうだ。その先生は事件を知って大変に落胆し、『もう自分には教職員として子供に関わる資格がない』と退職してしまったとのことであった。
 日本社会の仕組み構築に実力行使で参画しようとする心意気は大したものだったが、それにしても1億2千万組織を相手に、あの無理過ぎるチカラずくでは、結局のところ日本国組織の自我に認められない。組織の自我に認められないということは、どの道いずれ組織内で淘汰される運命にある訳で、それならあんな事件を起こして犠牲者まで出すような手段は最初から選ぶべきではなかった。
 犠牲を出さずに最大多数の満足度を上げるための議会制民主主義を、その本来意義通り建設的・発展的に運用できるのが成人社会人というものだと思う。では我々はどこまで到達できたのだろうか?

 40年前に先進諸国から10年遅れていた日本の国政だが、そこから民主主義としての追い上げは何ひとつなされていない。つまり単純計算で最低50年遅れた位置にいる訳だが、幸か不幸か国家組織を単位とする人類文明は既に次の変革期を迎えており、かつての『正解』は最早正解でなくなった。
 これで日本国の遅れ代がガラガラポンのノーカウントになり、今日の閉塞状態が横一線のチャンスに生まれ変わる訳ではないが、開きすぎたビハインドを追いかけるよりは心機一転のチャレンジで取り組みやすいとする発想の転換はできる。
 これを契機に、『日本の政治』を全方位・全面的に即刻変えにかかるべき時期だと思う。

 …とここまで書いて、先ほどから流れている選挙速報について。
 期待通りに大阪で吉村府知事と松井市長が勝ってくれたから、次世代ニッポン社会の具体化検討アイテムとなる大阪都構想・特別区再編案と2025大阪・関西万博は、めでたく青信号である。ひとまず両候補、お疲れさまでした。
 本件、決して大阪だけの変革ではないし、大阪だけの変革に終わらせてはいけない。全国から若い人たちがどう絡むのが面白いか、府市議会の結果全貌が見えたらまた考えを巡らせていきたい。まだまだ、これからですぞ!
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【733】AI受胎告知で始める胎教テクノミュージック [ビジネス]

 たんこぶは有難いことに収まりつつあるようだが、まだ前後の繋がりをあまり気にせずに済む単発型の大阪W選活性化企画で行こう。AI社会参画時代を考えるにあたり、ガンダム完全否定の一件【207】以来、久し振りにアンチ読者さんを増やしてしまいそうな話題を。

 もう懐かし文化の領域になるが、私はイエロー・マジック・オーケストラが大嫌いだ。

 今このトシになってあの時代を振り返るには実に興味深い音楽文化であり、その観点で分析対象として聴くぶんには貴重な思考ネタである。社会学的な意味で非常に面白い資料、それは認める。
 だが私は『テクノ・ポップ』と称されたアレを、『音楽を楽しみたい』という自分の意識の欲求への回答として、どうしても聴けない。たぶん耳元で鳴らされても1分を待たずに飽きて、他の事を考え始める。

 理由は判っている。打ち込みの機械発音に、人間が付属品として絡んでいるからだ。
 そんな殺伐たる解釈しかできない無知無能なオマエの感性が貧しいだけじゃバカタレとおっしゃる方はいると思う。そうかも知れないが、申し訳ない、私はその感性しか持ち合わせない。
 全部打ち込みだけで完成するんだもん。でもそれだと『YMOって誰々だっけ?』というハナシができないし、ステージ上で機材だけ点々と光りながら無人で鳴ってるってのもナンだしってことで、キーボードの単調なリフとかドラムのありきたりなループなんかをヒトが一応ナマで絡んで、ボコーダー通して『ト・キ・オ!ト・キ・オ!』とか言ってみただけでしょ?…って、自分ながら憎たらしい言い草だなあ。
 いや、それこそが『人間くんが喜怒哀楽いっぱいに演奏技巧で勝負する発音こそ価値ある芸術』という固定観念を突き破り、社会の度肝を抜いたネオ・ミュージックの本質であり魅力であることは理解する。だから当時の日本社会は夢中になったのだし、その事実を誤りだと卑下するつもりはない。

 当時の私ときたら、そりゃあもう未熟が服着てウザいくらい熱っぽく入れ込んでいた気分だけの洋楽かぶれゴマメ小僧だから、舶来信奉の終焉を告げるニッポン社会変革の新動向を見出してテクノポップ文化の全体像を観察する知能などあるはずもなく、見境なくムキになってテクノポップを目のカタキにして終わっていた。ま、破壊される固定観念の側ですからねえ。
 もっとも当時の雑誌記事には、『現代社会がいかに病的に歪んでいるかの証拠である』などなど私以上のことを声高に叫ぶ連中も結構いっぱいいた。してやったりじゃん、御見事だよYMO。

 何にしても、本来なら機材が整然と並んで淡々と演奏が進んでいけばいいだけの場に、『ヒトがそこにいなきゃいけないから、別にいなくていいのに』人間くんがいちいち余計に混じった。正確無比に音楽の三要素【68】を守って発音する機械くんに対し、誤差や雑音に演奏ミスといった不具合要素として人間くんが作用している。『ヒトがやることにこそ意味がある』、あーそうかい、これが私にとってのデジタル音楽像だったのだ。酷いなあ。

 で、『超アナログ人間代表・デジタル布教者抹殺部隊の急先鋒』を勝手に自負し、自分にゃ何の能も無いクセに、他人にイヤミな文句ばかりつける批評家として生きていた昭和の終わり頃のこと。私は雲上の超絶技巧にひたすら憧れるだけで、これまた怠けて何にも実になる努力をしないまま、チック・コリアのレコードを凄い凄いと崇めて聴き返すばかりだった【296】
 このころ技巧系器楽が『凄いんだけど、わざわざ構えて聴かないといけない面倒が煩わしい』と敬遠され始めており、BGMとしても何ら問題ないくらい耳あたり良く音数を整理した『スムース・ジャズ』が一気に台頭してきた時代でもあった。だからこそ、その人畜無害の甘く優しい世界に退屈していた楽器小僧は大勢いたと思われ、私も『攻める精密音楽は絶滅してしまった』と不貞腐れていたのだが…

 当時もう40代半ばに達していたそのチック・コリア氏がショルダー・キーボードYAMAHA KX5を引っ提げ、三十路そこそこの若手イケメン超絶テクニシャンたちで共演の布陣を固めてバンド・デビューし、一世を風靡したのが『チック・コリア・エレクトリック・バンド』である。
 このバンド名をそのままタイトルにしたデビュー作LP盤、そのオープニングから続く2曲目『ランブル』の衝撃は世界中の技巧好きの間で、新時代フュージョンの幕開けとして今なお語り草となっている。私にとっては、脊椎反射で激しく毛嫌いしていたデジタル音楽像を根こそぎひっくり返すものであり、これが音楽のみならず、その後のコンピューターに対する気心の持ちようの基盤となった。

 機械が刻む打ち込みの音楽に人間が同期する。だがその音構成の主体は、『人間なりに正確さを追究した人間の演奏』なのである。
 『人間の正確さ』を基準に置いての相対位置として機械くんの立ち位置が決まっており、『機械=普遍的・絶対的に正確無比、良いも悪いもそれが機械くんの価値』というそれまで当たり前の認識をぶち壊す形で、機械音楽の芸術性概念が新提案された瞬間であった。
 『シーケンサーに命を吹き込み躍動させてしまう演奏』と評されたコレにはすっかりヤラレてしまい、無条件降伏した私はその世界にのめり込んでいく。ぐじゅぐじゅ五月蠅くこだわる割には簡単に影響されやすいスカ野郎である。

 確かに機械は設計された通り作動するもので、現代生命科学で一般的に言う生体活動は見せないものだが、間違いなくゴキゲンの抑揚もあるし人の気持ちにも応える『生きもの』である【97】【98】
 歯車やリンクを始め種々の機械要素から成る内燃機関や設備機械なんかにはイノチが宿っていて、電子機器のコンピューターにイノチが宿ってないってのは、いかにも独り善がりの好き嫌い偏向思想じゃねえのかよ。むしろモロに情報処理タスクをやるコンピューターの方が、ベタに生物なんじゃないのか?きちんと好意と興味をもって理解し信頼し、対等に接するのが正しいんじゃないのか???

 私が『人間意識+AI意識=社会の総意』と語るにあたって【727】、そのイメージの原体験はこの記憶である。人工知能『AI』が盛んにそれと語られるようになった昨今、それにしても知的新生命としての具体的な実像イメージがカラッポのまま、ただ議論の応酬で往復する単語として『AI』が登場するばかりっぽいので、こんな想い出話をしてみました。

 音楽も技術仕事も、『こんなスペックのこんな道具をこう使う』ではなく、『自分ら人間で持てない能力域を、機械くんたちの都合を訊き適宜合わせに行きながら協業してもらう』という姿勢の方が断然に早くて効率的だと思っている。もちろんこっちの全知全能突っ込んで、どんどん賢くもなっていただこう。
 こんなコンセプトを社会運営の次元で適用可能にするのが、区画フォーマットした夢洲人工島ラボYAILを先行実験場に備え、パート毎に機能分担しつつシーケンス同期で繋がる大阪都特別4区だと考えている。私は、こういう印象での捉え方も知恵のひとつとして頭に置いておいて欲しいのであり、こじつけウケ狙いの冗談や作り話などではない。若者たち、少しは感覚的な理解で響いてもらえるだろうか?

 ここではこの通り公開で情報支援していくので、日本社会運営の最先端となり得る2025大阪・関西万博~大阪都・特別区再編案の建設的構想を、今のうちから各自で自由闊達に思考展開されたい。
 社会の事は未来を見据えて『みんな』でやるんだ、全国から参画の機を窺え、遅れるなよ!
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