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【712】迷路推奨ナビゲーションの軌跡 [ビジネス]

 組織生命体の自我が『思い込み』に陥るケースは、実はあちこちに散見される。というか弊害を生む『思い込み』のみならず、組織に自我がある限りは、常に何かの共有観念がファイナライズ処理を経て『組織の空気』になっていき得ると考えてよかろう。

 歴史上の事例には枚挙に暇がなく、天動説が固く信じられていた時代に地動説を唱えたコペルニクスが全く日の目を見なかった話は有名だし、中世ヨーロッパを襲った『魔女狩り』に至っては社会組織末節の日常生活現場で拷問と殺人の判定が乱発されるまでになっている。
 天動説の場合、当時まだまだ天文学が描く世界観スケールが小さかったため、コトの成り行きとして人々の意識が地球中心に限定され共有観念となっていたのだし、魔女狩りにはペストの大流行その他、人類文明では抵抗の術がない災厄の脅威が、これまた『社会組織の空気』として存在した。
 恐怖にかられながら大気汚染を知らない澄んだ夜空を見上げ、普段は見慣れない彗星の出現に気づくと、『組織の空気』がこれに『災い事をもたらす箒星』という解釈を導出させたりもした訳だ。社会が大した報道機能も備えていなかった当時、偶然の巡り合わせが揺るぎない実証として各自に確信され、社会組織の自我を狂わせる『組織生命体の思い込み』とまでになっていったのである。

 私が小中学生の頃、社会の授業の雑談ゾーンで何度か聞かされたのは、『大人になると、みんな歴史を一生懸命勉強するようになる』という話だ。
 過去に人間は様々な事実を残してきたが、そこには人間とはどんな性向で動く生物なのか、社会とはどう反応する集団なのかの実証記録が見て取れる。特に社長さんなど偉い立場に就いた人は熱心に歴史を学ぶものだよ、とのことだった。
 ガッコ授業の歴史科目に年号と史実イベントの暗記モノ的な印象しか持てなかった私は、正直あんまり身が入らないまま当時を過ごしたのだが、なるほどこのトシになり社会組織の実地体験を積んで史実の見方が解ってくると、いつの間にか歴史に対する学習意欲が随分と増している。若い頃は身が入らなかったが故に成績もロクなものではなかったけれど、そんな私でも一応記憶の片隅に転がっている教科書知識の断片を、いま遅れ馳せながらでも意味付けて理解する作業はとても楽しい。
 好成績目的・受験の手段としての暗記モノ勉強も、あながち否定したものではないなあ。

 さて、もっと身近な現在の社会生活に視点を移してみよう。
 実は技術開発の現場でも巡り合わせが噛み合うと、後で見て唖然とするようなトンデモ仮説が純然たる真理に化けていたりするのだ。経験も積んだ優秀なプロの技術者が、一応はきっちり理屈を立てて仮説を組んでいるので誰も疑う余地など無く、職場公理として技術的判断の定番根拠になっていることさえある。
 これが何だか実験を繰り返す度に『違う』データが取れてしまい、それでも最初のうちは『休暇明け初動なので実質負荷が低めだった』『たまたまセンサーが温度分布の極大に位置していた』等々、既存知識を総動員して思い込みに結論を収束させるのだから怖い。
 遂にその過ちが事実関係の不整合に端を発する失敗をもたらし、『それってホントにホントなのかよ?』と、大抵は他部署からツッコミが入ってようやく『職場公理の実験検証』に取り掛かるのだ。何しろ失敗に行き当たるまでは、公理なんだからそれを検証するなんて最初から誰も思いもつかないし、仮に思いついてもそんなもの無駄検討と判断され、実施にまで到らないのである。

 お、ちょっと面白い技術系の頭の体操を思いついたので、いきなり横道に入ってみよう。
 何年か前、電気工務店をやっている友人とDIY談義をやっていた時のこと。自前で換気扇を取り付けるは良いが、部屋に外気導入のギャラリーを付ける知識の無いヤツがたまにいるという話題であった。
 当たり前だが換気扇で空気を吸い出す以上は、そのぶんどこかから連れ込んでやらねばならない。なので通常は部屋の外壁面に、表に通じる百葉箱の側面のような通風ギャラリーを設ける。これをやらないと部屋の外開きドアが内側から吸われ、室内負圧×ドア面積で要求される操作力が重すぎになって、ドアが開けられなくなったりするのだ。
 では質問。換気扇のファンはこの時どうなっているとお思いだろうか。

 あまりの吸出し送風負荷の重さに苦しんで、電力を喰いながらもファンの回転数が落ちてウンウン頑張っているイメージで結構な大勢が答えるのだが、あなたはいかがだろうか。くだんの友人はプロの電気屋で『遂にファンが止まるのを見た』とまで語った。

 実は、掻かれる空気がファン翅に乗ってまとわりついて固まって動かなくなる訳などなく、ファンは普通に回転し続ける。実は空気を掻き出していって室内圧がそこそこ下がり切ると、もう掻き出そうにも室内側からの空気が翅にすくわれて来なくなるのだ。
 ファンとしては上流=室内から流れ込んできて翅に乗っかる空気が激減することになるので、仕事が減って回転数はむしろ高くなり消費電力は小さくなる。換気扇スイッチONで、最初のうちはガンガン空気を掻き出し電力も喰うのだが、掻き出し切ってしまうと希薄な空気をちょろちょろの仕事しか落ちて来なくなってしまうという理屈だ。送風装置の単体性能を手に機械設計の思考検討をやった経験のある人は正解できたはずである。
 なお彼が『ファンが止まるのを見た』というのは嘘ではないと思う。たまたま表で強い風が吹いており、屋外側=ファン下流側からファンを逆転させる空気力が働いていたんだろうな。それが思い込みのイメージに合致した。

 コトほど左様に、『非科学的・非論理的な短絡判断の結論』なる原始的な思い込みは実際あり得るし、みんなその認識は意識して持っているのだが、実のところ『実感を伴った論理的思考が現実と似て非なるところに落ち着いてしまった結論』としての思い込みの方が遥かに手強い。
 『何だかおっかしいんだよな』と思いつつ現実との整合性の確認を怠ったり、現実とのズレ代にあの手この手で言い訳して誤魔化したりしながら、『思い込み』に閉じこもって暮らす人間がどれだけ多いことか。

 おっと、新幹線の中で作文していたら、横道で分量喰っちまった上にラップトップPCのバッテリーがピンチだとさ。
 平成の日本社会がいつの間にか常識にしてしまった『思い込み』、皆さんはいくつ挙げられるだろうか。『古き良き昭和からの劣化代』という視点で沢山見つかってしまうのが残念なのだけれど。
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