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【700】いつか見た明暗の向こう [ビジネス]

 気が付けば御愛顧いただき700回、よく続いているものである。
 一応はちょっとだけお祝いっぽく気を遣って、殺伐としない夢の話題から始めてみますか。

 ステロイド離脱で四苦八苦する前から、そして人工知能や人間の意識の所在について考えを巡らす前から、一度ここで話題にしてみるつもりはあった。だがついつい他の話題ばかり取り上げて先送りになり、図らずもかなりの知見を蓄えた上で今これを語る行きがかりと相成ったのである。では、始まり始まり…

 夢の中で何度も登場する舞台設定がある。実に普通の、住宅地の通りがあって家々が建ち並んでいて…という日常生活の背景となる、何の変哲もない街並である。
 ただ、その通りの道路や家はこの世に存在しないのだ。夢の中だけに現われる架空の日常生活の舞台としてのセットであり、夢の世界で振舞うぶんには完全に『ずっと過ごしてきた、いつもの暮らしが流れる場』と意識される。
 不思議なことに、この世に存在しない空間のはずなのに、現実世界の地理に照らして『今いるのは、あの筋のこのあたり』という馴染みの土地勘が感じられるのだ。

 ざっくり地図を描けと言われれば描けるし、憶えている景色を絵にしてみろと言われれば、それも朝飯前だ。たそがれ時の空をバックに八木アンテナの立つ民家のシルエットをさらさらと描き落としつつ、夢の中で小走りしながら振り返って誰相手に何をしゃべったかまで解説できるぞ。
 で、『あーあれは近所のあのへんの出来事で…』と町内の地図を拡げて迷わず印もつけられるのだけれど、そこの現実空間は道路幅も家並もまるっきり違うコトになっているのだ。何故こんなことが起こるのだろう?
 更にもう少し先走っておくと、ある夜の夢で『あ、またこの世界だ』と認識して、『ならば、これは夢だなあ』とも判別して、そこまで解りながら夢の世界で振舞う自分がいたりもする。遂には『これは夢だし、まいっか』的に、確信犯でいい加減な言動をしている自分の人格を傍観していることさえあるのだから恐れ入る。

 この夢の世界の土地勘に関して考え巡らすところはいろいろあるのだけれど、真先に関係性を連想するのはデジャヴ、いわゆる既視感というやつだ。そう、日常を何気なく過ごしていて、ある瞬間『あれ?この景色、見たことあるぞ?』という感覚に襲われる現象である。
 一応は、疲労その他に起因するちょっとした誤作動により、脳が初見のシチュエーションに対して『既存の記憶と整合した』とする架空の情報を組んでしまうため、と解説されることが多いような。

 だが私は、例えば『昨秋の天気のいい夕方に歩いていて、陽を浴びる裏のアパートが目に入った時に、たまたまこの光景を思い浮かべた』ぐらいに既視した日時・場所が詳細に心に残っているばかりか、『その後に、先月これこれの用事で出掛ける道中の電車の中で、もう一度思い浮かべた』『その一週間後、寝る前にまた心に浮かんで、あの光景だなあと思いつつ気にも留めずに寝てしまった』という正確さでリフレイン回まで記憶していたことがある。
 これが後に、その現実の光景に出くわして『あっああー、あの時の、あの光景は今だったのか!』と事後確認の順番で訪れたりするのだ。数えるほどだが私には複数回この経験があり、しかも目に入る光景だけではなく、それに合わせて自分が発する言葉までセットになっていたりもした。何気なく発した自分の声に見覚えのある視覚情報が重なり、『あ、これってあの時の…!?』となるのである。
 つまり既視感を何度も反芻し、その全ての記憶がしっかり刻まれた上で、間違いなく後追いで現実を見ている訳で、たまたま出遭ったその瞬間に架空の記憶が作られるだけでは、この既視感の説明は付けられない。
 もちろん現実に先行して私の記憶が形作られるというのは時系列としてあり得ないので、何だかなあ~不思議だなあ~で私個人の秘かな準オカルト体験談のネタになっている。

 で、自分で思い付いて自分で面白がっているのは、仕事のブレークスルーが訪れた瞬間の『お!こいつでイケんじゃねえの?』という手応えは、立ちはだかっていた障壁の攻略ルートを進む『成功業務フローの既視感』とでも言えそうな気がしていることである。

 これはもしかして、私が過去に経験した成功プロセスの記憶情報が、目前の課題解決にぴたり当てはまる組み合わせで引き出された瞬間、まず生物生来としての反射作動が『自分の処理能力範囲内、イケる!』という感覚を、私の人格意識に先立って起動するのではないかと思うのだ。
 生命の歴史を通じてDNAに刻まれた器官・臓器の機械的反応が素朴に起こり、人格意識というものは実は思うほどゴリッパな論理性プログラムではなく、まるで自分が意図的に決断して行動しているかの如く錯覚しているだけなのではないかという、ここ最近の私の仮説である【608】【641】
 えっちらおっちら具体的作業をイメージしながら成功への道筋を見出していく…なんてのは、人間の人格意識が何か考えてるつもりだけの後付け付帯作業でしかなく、記憶ライブラリーを検索して現実解が揃った途端、もう人は自動的に?課題解決に走り始めているのかも知れない。
 何しろがっつりとこの成功デジャヴが実感もって自分の身体に降臨すると、達成の過程で種々発生する諸課題にも『よおし来た来た!どんどん来い来い!』のノリで、それなりに難関も散発するにせよ、結局のところ本当にあれよあれよという間に片付けられてしまうのだ。

 ここまで考え及ぶと、逆に最初から負けが判っていて、後になってみれば虫の知らせを聞き入れずムリヤリ噛み付いて、本当にずっこけるパターンも思い当たってくる。
 単なる失敗事例まで片っ端からこれにカウントしてしまわないよう注意が必要だが、間違いなくこの『予感ある失敗』のケースは存在する。

 そして今、移民法案も軽減税率も、日本国じゅう記憶ライブラリーを底ざらえにして実作動の現実感がさっぱり持てず、だから法律の機能を持ち合せない穴だらけの欠陥文章を『法案だ、議決した』などと騒いだところで、日本社会が反応しようにもできないでいるのだ。
 まさに『失敗業務フローの既視感』で、国会の作業手順だけ空転しているのが現状である。

 あらまあ、結局は700回記念もこの話題に帰着しちまったか。まあいいや。
 まだ週明けもう少し日があるが、野党たちには生命の原理作動に逆らうような痴呆症自爆テロ行為に対して、手を抜かず公明正大に筋を通し切った徹底抗戦の事実を、しっかり日本国組織の記憶に残して欲しい。
 日本社会にちゃんと健常者は大勢いて諦めず、次の時代の正常作動を模索していくのだと。いずれこれが表面的な国家運営の意思決定に先んじて、組織生命体・日本国に反射動作を起こさせるのである。

 御尽力には心より感謝、いつもありがとう。引き続き応援するので頼む、野党たち!
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