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【687】安心ナットク公平ジャッジの落とし穴 [ビジネス]

 前回から引き続き、今度は議会が原理的に抱える民主主義の弱点について。
 民主主義コンセプトで議決するにあたり、最もポピュラーな方策が御存知『多数決』だ。

 …ええっ?うっそでしょ?
 判りやすくその場全員の総意が反映されるし、一人ひとり意思決定への寄与率に差が付くこともない。ツーカーのお約束でほとんど唯一最強の議決方式なのだが、そこに原理的な弱点がある…だって?

 複数の人間が合意を交わし合ってひとつの物事に取り組む場合、多数決が意思決定の質を下げるのではないかとする説があるのだ。私なりに解りやすく単純化した例で紹介しよう。
  『みんな持ち出しの自腹で人助けに出掛けようじゃないか、YES or NO?』
の選択課題が起案されたとする。
 ここで、当事者集団の誰か一人をつかまえて立たせ、面と向かって『なあ、みんなで行こっか?』と尋ねるとYES率が高め、だが全員で多数決を取るとNO率が高めに出る傾向があるというのだ。おやまあ。

 多数決は、『不可抗力の他力本願』で決着する一面を持っている。
 その『他力』とは『自分でない、みんなのチカラ』である。

 人助けはやった方が良い、これは間違いない。寝るヒマも無いほど忙しくもなければ赤貧でもない、ならば深刻な苦境に喘ぐ人たちのために手を貸すのが成熟した文明社会の構成員というものだろう。
 この認識は周囲のみんなにも共有されているはずだから、指名された自分がYESで答えて反対されることはまずない。よって尋ねられた一人はYESで答え、実際みんなも賛成して後に続く。みんなで合意し納得した、献身の人助けチームが完成する。

 では多数決の場合どうなるか。
 無記名式の投票なんかだと、まず誰がNO票を投じた怠け者の守銭奴なのか判らないので、それだけでさっきの場合よりNO率が高めに出るのは予想できる。ではお互いの顔が見える挙手制にしてYES or NOで採決を取るとどうだろう?
 これは私自身も実験検証をやったことなんかないので考えて見解を述べるのだが、結論から行くとやはりNO率が高めに出るのではないかと思う。但し無記名投票よりはマシな程度に収まりそうな気がする。

 要は、自分が怠け者の守銭奴だとバレちゃうにしても、他に手が挙がると『NOを選ぶ自分以外のチカラ』の存在を確信できるため、ジブン優先でゴメンチャイは人間だれでもあり得るよねと、『人間だれでも』の1サンプルになり切ってNOを選択するハードルが下がる。そういうことではないかと思うのだ。
 誰がNOを表明しているのかの個人特定は、ある程度するんだろうけど、自分だけでないことさえ確認できれば、むしろ自分を含めてその個人枠の概念は意識の外に追いやりたい。
 かくして人助けにYESかNOか挙手を求められると、みんな周囲を見回しながら五月雨式に意思表明して、相対的に高いNO率が多数決結果に顕れることになるのだと予想する。
 献身の人助けチームは、固く信じる美しい志の団結があやふやになりがち、となるのだ。

 例えばこの集団そのまんまを、忘れた頃にまた同じシチュエーションに持ち込んで、無作為に一人ずつ指名し集団の代表役で回答させていけば、自然に献身の人助けチームとして立ち上がるはずだ。
 多数決で決定する『組織の意志』には、個人が守る規律意識のすぐ隣に潜む『ちょっとぐらい仕方ないじゃん』の油断が紛れ込みやすいということなんだろうな。

 さて、ちょっと性格ワルくなってみよう。
 結局がところ多数決方式により、最後の最後に『あら~ん、議決でこうなっちゃいました~』の結末にさえ到達すれば、あとはイチ議員としての無力を言い訳にして決着できるのだ。つまり裏返せば、その本命の結末に持ち込むためには、そこまでの過程で何でもやる。
 日本国という社会組織に、周囲を見い見いそろりんそろりん、これってヤバかったりしないっけ…と迷わせ、『ま、いっか』と自分に言い聞せて逃げるように手間を省かせる。
 この仕込みは、支配階級政策を進めたい政治家にとって『仕事』なのだ。これを機会に、生業として巧みに世論を煙に巻く役割に就いている演技派議員をしっかり見抜いておこう。

 おやや、こいつら案外一枚岩って訳でもなさそうじゃん。デタラメっぷりに底が抜けちまった感のある自爆テロ捨て駒チームの非国民犯罪者政権だが、マシな反骨者もいなくはなさそうってことで、他に乗り換え先もないし形だけでも今まで通り支持してやるか。見誤っても自分一人ぐらいどうってことないだろう…
 …その一票を狙ってプロが来るんだから、くれぐれも気を付けましょうぜ皆さん!

 政党が政党だけに『所詮は』という枕詞がついてまわるのは止む無し【674】と、こないだの総裁選を話題にしたとき書いたワケだが、まさにこれがその論拠だ。党内ウチワの騒ぎなら、言動や態度がマトモになった事実をもってコイツがきちんとやれそうだからと、一方を応援して何ら心配事は無い。
 だが国会での議決に影響が出る局面となると話は違う。最後の最後、多数決の波に呑まれる前提でしかあり得ない以上、仮にそこそこマトモを訴えかける信念が感じられても迂闊に応じてはならず、何よりまず『悪い多数派との馴れ合いは一切しない』が絶対優先、最上流・最上位の判定フローであることをお忘れなく。

 これまでの展開からして仕方ないとは言え、やり損ねたウラ取引含み不正政策の残骸を掻き集めて、失敗すっとぼけの夢見演説で所信表明だけやったら即刻の海外逃亡かよ。つくづくどうしようもねえな。
 世襲のガキには『逃げ得は許さない』の処置から必要で、容疑者風情がナニ勝手にあんな場で演説かます発言権あるテイでやってるのか、まずそこから追及すべきだろう。
 野党たち、飽きたりダレたりせず引き続き徹底的に、締まって頼む!

 以上、多数決は確かに便利で納得性の高い意思決定の常套手段なのだが、そこで『各自が発信する、そもそもの意思決定の質』という意外なところに弱点があるという、ちょっと科学的な実用知識でした♪
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