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【666】ひとりよがりブラック就業セレブの余命予測 [ビジネス]

 この時期なので、もう少し戦争の絡む話をしようとも思ったが、終戦記念日まで日があるのでこっちの話題から。
 かねてからNHKが『オープンジャーナリズム』というコトバを使っている。一応『これこそがオープンジャーナリズムです』という流れで構成した番組もあり、『あなたの情報が社会を変える』とも謳っている。

 残念ながら『社会のあらゆる利害関係や権力構造から自由な立場にある、公正中立の正真正銘ジャーナリズム』という本来意義の議論は皆無で、所詮は『マスコミ関係者でない一般庶民が声を上げられる時代ですよ』的なヌルい解釈に終始しているのが現状だ。
 ただ『オープンジャーナリズム』の文言それ自体も、『マスコミ関係者以外の発言力が効く時代だ』とする宣言も、それすらやれずに犯罪者政権の言うがまま隷従し続ける民放各社には大きく水をあけた感がある。
 本来、国政からは独立した社会勢力体系だったはずのマスコミだが、長引く不況に乗じてダラダラと公金注入され、実に端から端まで洩れなく国政に屈服するデマ流布媒体群となっているのが実情だ。NHKはそもそもが公共放送なので、この局面で改めてシッポ振って首輪を繋がれるような体たらくに陥ってないところが救いになっているのだろう。

 この時節なので、行ける人は芦ノ湖のパール下中記念館を訪れてみてはいかがだろうか。前日までに見学申請が必要なので、御注意されたい。
 特にマスコミ従事者の方々、『広告には気を付けなさい』の戒めは是非一読しておくことを勧める。あの時代に既にここまで解っていて、今の自分らがどれだけみっともなく狂っているか恥じ入る常識に立ち返れると思う。
 かつて『フェアネス』の信念だけを拠り所に、周囲全員を敵にまわして裁判の場で『日本国に邪念を見出して裁くな』と情報発信したインド人判事がいた。敗戦で発言権の所在をもぎ取られた日本人に代わって、真摯に事態に学び明るく未来を見据えて、人類文化の進むべき方向を示唆したのである【164】
 その貴重な事実を綺麗さっぱり忘れてしまい、高度経済成長期のお祭り騒ぎに浮かれて国家組織の継続性管理をわざと面倒ゴトにして他人事に押し付け合って、自分らの悪い頭で勝手に修復不可能と諦めるほどにまで事態を悪化させたのが今なのだ。
 ちょこっと嫌がらせされるのが恐くて、どんな汚い邪心にもまるで抵抗せず言いなりに従い、その褒美にカネだけ恵んでもらえば後はもう何もかもが他人事。『武士は食わねど高楊枝』が正しいとは言わないが、次世代を担う若い仲間をないがしろにして平然と安穏の風を決め込む神経には呆れるばかりである。
 こんな社会風潮を次の世代に申し送れるかってんだ、心の底から軽蔑する。高齢化で一斉に老衰したダメ老人が日本国の破綻を勝手に申し合わせて、薄汚い惰性の余命消化試合に若い人を巻き込んでいるだけじゃねえかよ。

 御本人が命を落としているので言葉に気を付けねばならないが、少し前『カネしか無い老人の末路』の悲惨な実例を披露してくれた方がいた。
 恐らくは、この世の誰ひとり腹を割って胸の内を打ち明けられる相手がいなかったのだろう。『異性の気を引く目的で蓄財した』とする公言が本当だったとしたら、そりゃあその目的が達成されれば財産目当ての異性ばかり山ほど寄って来るさ。

 以前にも述べた通り、カネは『経済社会の価値交換媒体だ』という基本を忘れてはいけないと思う。本来は社会に流通する価値事物に釣り合う分量だけが出回り、価値交換取引の発生に応じて必要ぶんが適宜に準備されて、人手を渡っていくものなのである。だからこそカネには固有名詞もついてなければ履歴書もぶら下がっておらず、誰がいつどこででも価値事物と交換可能なお約束なのだ。
 古今東西あらゆる経済社会でカネが盗まれ、奪われ、騙し取られる理由はここにある。だから最終的に手にしたい幸福事象が無いまま行き場のないカネだけ抱え込んでしまうと、付き合いの輪に入って来る人たちの目的意識に一方的な憶測を巡らせて、『コイツって絶対にカネ目当てではない』と好意的に断ずる思い切りができなくもなるんだろうな。
 使いもしない贅沢品とカネがあり余る荒廃した部屋の様子を背景に、誰にも腹を割れず、故に誰にも腹を割ってもらえず、殺伐とした生気の無い風貌で心休まらない寂しい暮らしを送る姿はあまりにも痛々しかった。そう、カネっていろいろと怖いのである【594】

 せっかくふたケタ億円もあったのなら、全国で停まることなく増加しているという『こども食堂』にでも出資すれば良かったのに。子供たちからプライスレスの御礼やプレゼントなどなど、類まれなる幸せに囲まれて寿命一杯を過ごせた可能性は高い。

 私が大好きなのは宅急便を開発したヤマト運輸の故・小倉昌男元社長の話である。
 社長の座を退いたのち持っていた自社株の大半を売却、その二十余億円をヤマト福祉財団の設立基金に充てた。さらにお住まいの邸宅がもう広すぎるとして、御自身は賃貸マンションに転居している。そう、人間どう頑張ってもその瞬間をふた部屋以上で過ごすことなんかできないのだから。
 そんなこんなのヤマト福祉財団は、障害者の雇用で健常者と遜色のない収益性を上げるパン製造事業を立ち上げた。
 それまで不運の境遇に閉じ込められ『生産性なし』と決めつけられていた社会層を、見事に経済社会の立派な一員にまで仕立ててしまったのである。確かにこの時期、障害者関連の議論が社会の陰から陽の当たる側に転じた印象が記憶に残っている。

 本当に凄い人だと思う。能力開発に興味ある人間として心から尊敬し、ひたすら憧れる。
 こういうのを『生産性改革』『働き方改革』と言うのだろう。

 おっと、分量が中途半端になったので続きは次回に送るが、そもそも自分の生活に何がどこまで必要かも考えず、撒き餌のカネに喰い付いて首輪をつけられる理由について、少しくらい考えてみてはどうかと言いたかった。
 こんなもの一蹴で淘汰するオープン・ジャーナリズムの活性化については、以前から特に若年層に向かって焚き付け続けているつもりである【439】

 人事院が『還暦公務員の定年を65歳にしたい』という意見書を出したってよ。国会の会期外だからって油断してはなりませんぞ。
 こういう姑息な手、常に晒して世論に反映させる手法を考え出してくれないか、野党たち?
 まだまだ期待している、日本国民の総意をコイツらに突きつけてやろうじゃないか。
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