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【652】マイワールド迷路攻略の俯瞰ドローン操縦法 [ビジネス]

 どなたにも一度は憶えがあるだろう。
 『あれ?なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだっけ?』

 いわゆる目からウロコの新アイディアの類では全然なく、ありふれた考え方で何気なく通れたはずの道筋を一体どうした訳か見失って、長時間死闘を繰り広げてしまうことがある。大抵は自分の頭の中で種明かしが訪れた瞬間、自己嫌悪もあってその馬鹿馬鹿しさを吟味することなく忘れてしまうのだが。

 技術プレゼのトレーナーをやっていると、結構な高頻度でこの現象に遭遇する。というかプレゼスキル習得の第一歩は、『自分スペシャルの筋道を捨て、世間一般の筋道で話すこと』だから、程度の差こそあれ必ず通るルーチンワークだとさえ言える。
 対象にしている課題領域が得意分野で自信もあり入れ込んでいるヤツほど、ハマる時には持論の信念にすっぽりハマってしまい、時として『1+1=2だろ、それはいいよな?』みたいな質問にまで『いや、そうとは限らない場合もある』と仰天の公理の否定が飛び出したりもするのだ。自身が確信するマイ真理に、本人的には何ら無理なくあらゆる裏付けがきっちり整合しているのだからしょうがないのだが、随分とイイ根性をしているのですよ。
 こんな時によく飛び交うコトバが、『おいおいアタマ固いぞ。まずその自分ロジックから離れてみようよ』ってやつで、まあその通りなんだけど、この日常的日本語表現には、そこでガチ噛み合っちゃってる証左情報の因果のメカニズムに即した思考のほぐし作業が手引かれていないので、まずまずは基本、失敗に終わる。

 もっとも教える方も慣れてくると『お、来た♪』みたいなノリで、謎が解けた瞬間の本人の反応を楽しみにしながら、何故そう考えるのか、この一場面で公理の普遍性をぐらつかせた場合、他の事例でどんな不都合が起こりそうか一緒に考えたりもできるようになる。
 間もなく訪れる種明かしの衝撃を二人で大笑いし、後にそいつが私なんかより、よっぽど優れたトレーナーになるように。

 面白いのは、複数のプレゼスキル熟達オーディエンスが初心者を見て評価すると、概ね気になるところは似通ったポイントになり、つまりは『できるヤツ共通規格』の物差しを当てて各自が目盛を読んでいるのだが、ここに初心者オーディエンスが少数でも混じっていた場合、初心者はかなりの確率で不都合も感じず初心者プレゼを自然に受け入れている事実だ。
 これは、業界で一般的に通用するプレゼ文化体系なる世界観があるのは良しとして、個人が個人なりに思うところを展開する持論に対して、柔軟に歩を合わせて理解する融通性が、心ならずも狭まってしまう反作用に注意しろということなのではないかと思っている【154】

 さて、ここで気を付けておきたいのは、実はこの『一般的に通用する世界観』が、それほど合理的でない根拠に基づくものだったりする場合、それどころか根拠と呼べるほどの拠り所から、そもそもがはっきりしないケースが意外に多いということだ。また仮に合理的であったにしろ認めるのがツラかったりすると、それを共有し社会空間で流通させる人間の方が、悲しいくらいに不安定な行動を取る。
 後になって、判ってはいたんだけど…という事例は枚挙に暇がない。

 古くは人間がただ自然に感じる『自我の存在』のイメージを基準に、自分の立ち位置を原点とする天動説が信じられていただけなのに、地動説を唱えると反社会的行為と判定されちゃったりもしたワケで。

 さて人間が、その人固有の人格を感じさせる情報処理の特質を失う現象は、やはり誰にとってもショッキングであり、ネガティブ印象で受け止められるのはのはやむを得ないことだと思う。精神疾患=『あの人があの人でなくなってしまう』喪失感、これが冷静な現実の分析と把握を妨げるのだ。
 『まさか正常な判断力を失くした人たちが、日本国の重要な意思決定に関わっていては困る、関わっているはずがない』

 では思考実験だ。子供たちに、ただあるがまま現状の国会運営の様子を見せたとしよう。
 いろいろ登場人物がいるが片っ端から名前を列挙しておき、子供たちには『〇』か『×』をつけてもらうのだ。
 今の子は悪い意味で大人の深い裏事情を勘繰るところまで知っていて…というハナシのサバ折りはナシにして、いいからコイツを信用できるか、コイツと一緒に遊びながら勉強や運動を教えて欲しいと思うか、人間として『〇』か『×』を選んでもらう。
 直感でイヤだダメだと感じたら『×』、あるいは素朴に微力ででも『社会をちゃんと切り回している、尊敬できる大人』かどうかを問う。ここまで想定できただろうか。

 質問その1。『×』がつきそうなヤツって、誰か『△ってないの~?』とか、ビミョーで難しくて判断に迷う子がどの位いそうかね?
 質問その2。アナタは『×』がついたヤツの弁護士に就かねばならなくなった。弁護は可能だろうか?もちろん直後に、子供たちにはアナタの名前を追記した回答用紙が配られ、『〇』か『×』を刈り取っていただくのだが。
 質問その3。ではアナタがその子供に立ち帰って『〇』『×』をつけたらどうなるだろうか?

 ここで立ち停まり、振り返り、、御自分が何故こんな異常事態を放置していられたのか御一考いただきたい。子供が簡単に判る『×』に、それと判定して処置できなかった。
 『政治の話題は、何てことない平和な社交の会話を険悪に荒らすので避けましょう』という、大人の無難な世渡り術なんかも、みんなして無条件で隷従しタブーにする理由など実は無いことに気付いておこう。
 少々言い争いになったところで何が悪い?全員がデタラメを盲信する夢遊病社会より遥かにマシである。

 ありゃ、まだ本題に行く前に、また一回使っちまったよ。まあいいか。
 そんな訳だ、日本国組織は『国家運営はこいつらに任すもの、コイツらの決め事で何とかなるもの』とすっぽり思い込んでいた精神状態から、はたと気が付いた。やべ、コイツら老人ボケで気が狂ってるじゃん。とんでもないが現実だよ。

 もちろんだが今ここで国民が求めるのは、目覚めて納得できる合理的な国家運営だ。ここぞと自党の都合なんか混ぜ込んだら、この犯罪者政権と同類にされてオワリだぞ。
 このへん肝に銘じて、油断せずにしっかり頑張れ、野党たち!
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