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【634】イノチ懸けコトバ遊びの終着点予測 [ビジネス]

 『国会空転』という見出しが時々目に付くが、大事なのはナニが空転しているかである。

 そう、組織認知症患者が、生きる役目を終え集団入水自殺を図るために、ウソをつく違法行為を手段にして、未来ある仲間を騙し真実を隠して作ってきた不正法案の審議だ。
 こんなもの空転してくれないと困る。もちろん次はこれら不正法案を全て御破算にする作業である。その過程において、組織認知症患者を特定し二度と社会運営に紛れ込まないよう、文字通りその場から葬り去る措置が必要となろう。

 内容としては繰り返しになるが、簡単な検証ロジックを挙げておく。
 普通に、集団自殺が目的でなくて、ウソも一切ついてなくて、何ひとつ隠してもないのなら、名指しされたヤツら全員が次々出てきて法的拘束力のもと堂々と、思う存分しゃべり尽せば済むハナシである。
 まあちょっとはソロ言論のオン・ステージで緊張はするんだろうが、逆にそれでキレイさっぱり片付いて正確な記録も残り、何の経緯顛末を追いかけるにも『まずその記録情報に照らしてから』ってことで、本人たち雲隠れして日の当たらない場所ばかり逃げ回る面倒もなくなるはずだ。真実に口を閉ざし、答弁をやらない理由を野党に訊かれてちゃんと答えないから、今こうなっている。

 直接的には『国家運営の意思決定に関わる議論の場で、複数の違法な情報操作が検出されながら、その事実関係を明らかにする手筈を、政府与党が実行しないため』国会が空転しているのだ。
 更には真実解明に無関係な弁論で時間を浪費することにより、物事を進展させようとする目的意識が他から自然発生するのを待ち、その焦りと苛立ちの感情論の勢いが、コトの真相解明に向く法律行使を形式的で不正確なものに終わらせようとする魂胆が透けて見える。
 その水面下に立法・行政・司法の三権横断型の犯罪者組織がなす集団自殺計画グループが根深く潜んでいるのは、今や零細レベル+α程度の方々が御存知の通りとなった。
 今回は、なぜこんなことになるのか『情報』で捉えるフラクタル生物学として考えてみよう。

 いつもの通り結論から行く。 『言語』という情報形態にその原因がある。

 人間は、一定規則の文字や音声で定義される情報つまり『言語』を、現実の事象と対応させた。これによりリアルタイム現場現物をいったん言語情報に置き換え、いちいち現場現物をモロに持ち出すことなく、言語世界だけの処理プロセスで扱うことが可能となった。
 話せて聞けて、辞書ライブラリーの記憶が人並に頭に収まっていれば、言語情報を原材料にして人間各自の脳内で仮想現実が組み上がり、当該事象の共有ができる。更に書けて読めれば、当該事象を自分から切り離して取り置いたり、手放しで流通させることまで可能だ。
 現実の事象が、その場の関係者ウチだけで閉じることなく、空間と時間の縛りを越えるようになったのである【226】~【228】

 この言語情報の高機能性により通信が飛躍的に発達、人間の生産力は空間の拡がり方向にも、時間軸の伸び方向にもどんどん協調が進み発展させられることとなった。新規の生産成果を積み上げて強化された人間の生産力は、次なる新たな言語情報を生み、その新しい言語に対応して人間の情報処理能力は更に高度化していく。
 こうして大規模かつ長期的に生産力を紡ぎ合わせながら人間の文明は他生物から別格に複雑深層化し、人間のなす社会組織という上階スケール生物もまた巨大化し長寿化してきた。
 ここまでは生命進化の樹形図において、人間および人間の社会組織が分岐路一本を現世まで繋げてきた経緯である。

 ところがここで、現場現物が存在しない『ウソ』の言語情報という新規概念が登場する。

 実は生物界において真実を偽る行為は他にも存在し、例えば小鳥が巣を守るため、自らが負傷した風を装って捕食者の関心を惹きつけながら離れた位置まで誘導する『擬傷』などはよく知られている。小鳥なら完全にその目的意識で思考して行動を決断しているはずだ。

 ちょっと柔らか系の余談を挟んでおくと、昔ウチには桜文鳥【630】とセキセイインコがいたのだが、彼等は明らかにステレオの音楽鑑賞を理解していた。
 普段あちこち私の身体じゅう飛び乗ったりよじ登ったりして遊んでいるのだが、私がステレオに対峙して音楽を聴いている時に限って、必ず私と同じ方を向き両肩に各々とまって大人しく動かない。声も上げないし頭をきょろきょろ振らないので、左右チャンネルで再現する楽器毎の定位まで判別しながら聴くことを知っていたのではないかと思っている。
 意思疎通としての言語会話は無かったが、小鳥は十分に人間と同列で高度思考コミュニケーションが成立する生物なのだ。裏返せば、あれだけ会話して言語情報はひとつも交わさなかったことになる。

 人間は言語情報に続けてカネや地位などの定量概念を考え出すのだが、これが自然生物として認める価値や能力と食い違ってきたのだ。これが人間ならではの深刻な問題を引き起こすことになる。
 何しろカネも地位も定量つまり物差しを当てて読む目盛の概念で言語情報に変換されるため、『食用』の価値を得て血肉とし生命を繋いだり、『信用に基づく統率』の能力を発揮して組織生命体で狩猟・農耕を成功させたり【632】といった原始的な生命活動の現場から乖離して、『数値目盛の大小』という人工的な関心事が人間の情報処理に、別の図柄のレイヤーとして重なってきたのだ。
 これが人間の『価値観や能力を支える自我の充足度』につきまとう二重性の原理であり、老衰が進んで迷惑な過ちを犯しがちな『避けられない人間のサガ』だと考えている。

 生きとし生けるモノ平等に授かった寿命を自力で延長した人間は、その延長期に思いのほか早々に訪れる『組織性の老衰』に気付けなかった。そして、まず組織生命体スケールで痴呆状態に陥り、自己保存本能が失われて組織の自滅=集団自殺を目指すに到った。
 日本社会の現状は、その具体事例だとする見方が成立すると思うのである。

 生物は情報的に進化する宿命にあると述べたが【629】、その進化過程で高度な言語情報が生まれ、後にその言語情報が命取りになって、生命進化樹形図における高度文明人類の分岐路は淘汰されました…の結末で、真先に高齢化ニッポンが滅びるなんてハナシは絶対に避けたい。
 もう法治民主主義社会の看板を隠れ蓑にした認知症老人の人治国家なんぞ、呑気な日和見敬老意識だけで通用させる時代ではない。

 引き続き応援を続けるので頼む、野党たち!どうもありがとう!
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