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【955】旧『ハダカの王様』視聴者層のスマホ接続先 [ビジネス]

 とうとう生理食塩水のお注射まで出て来ちゃったか。ひどいハナシだな。
 ワクチンとやらの薬物を、生理食塩水で薄める作業を間違えたんだとか。

 誰に『スカ』を打ったかは判らんしもう知らんって、オマエら税金仕事で国民に医療処置をやってそれで済むとでも思ってんのか?これ複数件出てるし、間違いなくその目的意図でわざわざに作って実行した『食塩水接種』だね。ナウこれから打とうかっていう薬剤をその場で希釈するって、どんな管理のボロいDIY注射なんだよまったく。
 さあさ皆さん、死病コロナ肺炎がどお~しても心配で夜も眠れないようなら、おうちで少々の食卓塩を水に溶いて飲んどきましょ。血液や汗が口に入ると塩分を感じるが、濃すぎず薄すぎずアレと釣り合う濃度の食塩水は人間の体液と相性が良く、医療作業の水分用途としてごく普通に使われる。
 自家製アバウトのワクチン飲料ってワケだが、そこらのスポーツドリンクの方が味が整ってるし、あとで喉乾かないかもね。まあこれなら副作用も心配ないし、お好きなだけ御自由に。

 もう今般のコロナ感染騒ぎになる遥か以前から急速に顕著になってきている傾向だが、世論操作を目論んで流される公共情報の質が底なしで低下の一途だ。もはやガセとかデマのレベルでは済まない。
 『コロナ死ぬ死ぬ、ワクチン打て打て』に飽きてしまった1億2千万人の超巨大組織に向かって、その組織の自我の心情に直面せず、まだ日本社会で居場所があると勘違いしている世間知らずが、この期に及んで尚も『誰かが真に受けてくれるはずのテイ』でやっているから…というのが直接の原因なのだが、このボロい構図にもまた、そんなことになる原因がある。
 なお一定数の取り巻きが、そのテイを受けて本当に調子を合わせ続けるからだ。

 物事の行方を決定づけるのは『組織の自我』である。
 何が正確であり真実と判断するかをまず『組織の自我』が決めて、それに応じて、その組織で生きていくために個々人が判断を決める。この順番だ。
 組織の自我がいったん腹を決めたら、その判断に従って組織の物事は動く。個々人や下位組織の声などまさに『言ってるだけ』で、日の目を見ないままぶつぶつ続くゴマメ雑音にしかならない。
 お、そうだ。ちょいと込み入った理屈ゴトの方は、何なら次回に押し出してしまうとして、先に判りやすい日常経験則の事例から入るか。何しろ日本人は、世にも特徴的な民族性のレベルで『調子を合わせて群れを成し、組織の自我にモノを言わせる』という行動パターンが好きだし得意なのだ。これが様々なスケールで顕れる。

 まず子供時代に誰もが必ず目にするじゃん。
 そこそこ目立つ『仲良し何人組』みたいなグループがすぐ自然発生して、自分らの流儀になびいて調子を合わせて来るか来ないかで、これ見よがしに優遇・冷遇の差をつけたチームワーク対応を繰り返す遊びだ。馬鹿な大人が使いたがる痴呆語『いじめ』の割と代表的なパターンのひとつだよな。
 子供たちがすぐこれをやりたがるのは確かで、学級など大枠集団の中で、自分が重視され自分がやりやすい特別な小集団ができると、優越感は満たされるし時としてトクもできたりすることに気付くからと思われる。
 少し悪知恵が付いてくると、作戦として周囲に働きかけ、まあそこそこ納得して収まる連中とウチワ組織を意図的に構築し、おとなしい標的を傷めつけることを覚えてくる。本来40人ほど集まってみんな思い思いに楽しく過ごす学級という大枠基礎社会の中で、そんな加害vs被害関係があるのは理不尽でしょってことで、まあ被害者を助け加害者を叱ってやめさせるという教育概念があるんだよな。

 実は『組織の自我』にとって、人の説く正しさ美しさなど知った話ではない。
 何人かが調子を合わせて過半数が方向性を一致させる集団ができたら、そこにその性根を持った組織が生まれる。上述の組織の中では、おとなしい標的を見つけては結託して加害し、皆で被害者をイジるのが『自然』なことなのである。
 子供たちは子供社会の中で、もう『人間の組織の生来特性』を学び始めているのに、馬鹿な大人どもが『倫理道徳で語られるタテマエ美学の順守義務』としてしか、子供に指導できていないのだ。

 そもそも子供時代にそんな是正操作の教育を受けた大人は、直ってるのか?
 答はもちろんNO、それどころか私の知る限り、学校のセン公業界こそ『閉鎖性サル山文化』の有名事例だったりする。
 教育委員会にしてもガッコひとつにしても、いわゆる『ドン』格と、ドンを取り巻く家来どもが箱庭小組織をガッチガチに固めており、例えば風土改革を狙って新進気鋭の元気者を投入したのに、手酷い嫌がらせでいびり出してしまったという話は複数聞いた。さすがに全部が全部そのパターンなのかどうかまでは確かめてないけれど、その方面の関係者なら似た話を知らない訳ではないんじゃなかろうか。
 初出勤してみたら朝の会議の席が無いなんてのは定番あるあるの洗礼、会議の資料は自分だけ届いてないし、もちろん出退勤記録に始まる事務処理も全て職務放棄式に拒否される。どこで何を言っても無視されるわ、会議は問題提起と無関係な議論しかやらないわ、もうその場にいる時間の全てがウチワ箱庭サル山帝国の鉄壁デモンストレーションなのだという。
 ポイントは、機能的組織において業務を分担している職員同士としての立場そっちのけで、『いいオトナ』というにも歳をとり過ぎたような連中が、子供時代と同じことをやっているところにある。いっそ子供回帰の『誰それちゃん好き嫌い』で済めば良いのだが、大人はサル山帝国の結託ツールとして業務アイテムを持ち出してくるから始末が悪い。
 ただの爪弾きとは異次元の徒労感・空虚感が常人の執務意識の限界を超え、だから教職員業界に特有の風土は、素材としての人間を苛酷に消耗させ、新風による浄化を締め出して腐っていくのだと。むむ、不祥事の起き方もその後の展開も見る限り確かに…

 よく考えたらガッコって凄いよな、そんなに歪んだ大人のコミュニティが清く正しくを決め込んで、上から目線で『いじめはいけません』とか言って来るんだからなあ。
 気付いてないのは馬鹿な大人だけで、子供たちはそのへん全部お見通しだから、まあ面倒臭くならないよう大人の目に触れる面だけ取り繕って、裏では『社会なんてこんなもの』として散々チカラ関係で暮らしながら卒業していく。
 役所組織に、法律も基準もお構いなしの非・生産的人治体質が根深く残り続けるのも無理はない【894】

 あーやっぱり本題の理屈に行く前に結構な分量を喰っちまったか。
 ガッコや役所を引き合いに出しちゃったけど何のことは無い、古い体質の会社で派閥闘争に暮らすサラリーマンはハイハイなるほどと頷いているはずだし、以前に田舎コミュニティの政治利用について扱った自治会のハナシ【931】なんかも含めて、ママ友の間で似たようなお付き合いが現在進行中になっている主婦だっていないとは思えない。
 そのくらい日本人の民族性、日本社会の組織体質として染み付いている現象なのだと理解しよう。ま、『組織の民』ですからね。みんな大好きウチワ箱庭、収まって安心のサル山フォーメーション。

 そして『組織』は性善でも厳格でもなく、物事の自然な流れとしての、その時その場の日本人個々人たちの心情を、ただ反映する。

 この期に及んで余談だが、いわゆるオタクちゃんや友達少な目のぼっち系などは、こういった閉鎖性の権力枠の場とは生存空間を区別して生きており、自分の人格意識を自由に好きなように遊ばせる楽しさが勝っているタイプだったりする。
 自分の時間をかけた是々非々の頑丈な自律基準で、むしろ外から『組織』と対等のスタンスで組み合う素質を備えた人材だとカウントしておくことを勧める。お仕着せに飽きるより先に、独り遊びで自らの行動規範をアップデート・アップグレードしていくので適応性・進化性の起爆点としても面白い。
 バブル期なんかには社交性の自己アピールとして携帯電話に登録した『友達』の数を競うような滑稽な意識文化も見られたが、いまスマホを相手に自分至福の情報空間への接点を個別に約束されたデジタル・ネイティブ世代には、いい意味で群れ合い・馴れ合いの日本人気質が廃れてきているように思う。

 まあいいや、続きは次回以降に。とにかくみんな、そろそろ気分転換しないとね。
 まずは飽きたからって投げちゃダメで、面白くしましょう。それではグッドラック!
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