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【954】放火魔になれなかった詐欺師の末路 [ビジネス]

 さて、結構ほったらかしていたが、コロナ感染状況および日本社会がそれに向ける意識には、予想通りこれといった有意の変化は無い。あれこれ変わっているのは『コロナ死ぬ死ぬ』の一部その目的のある架空言論域内だけの、人為的な騒ぎの方だけではないだろうか。あんまり知らんけど。
 私としては、この日本国で都市封鎖なんぞやらなくて良かったと思っている。
 必要なかったもん、結果論として。もちろんこれからも、金輪際やる必要は無い。

 記憶力を備えた生命体である以上、組織は飽きる。
 犬猫や鳥が飽きるのを見ている人は多いだろうし、何より我々人間が飽きる。
 あの精神状態も、それが行動に顕れ出る反応も、生き物みんな同じだ。

 何かに飽きるとは『関心に値しないと確認済』、この一言に尽きる。
 良いことも悪いことも、楽しいことも辛いことも、自分の身の振りの展開に影響があるかどうか、更には今は何でも無いが今後に影響する可能性があるかどうかまで含めて、最初それらは『気になる関心事』として意識に飛び込んでくる。これが時を経て『飽きる』という精神状態に移行するのだが。

 過去トピック『ジブン感という主観の概念の正体』を思い出していただこう【938】
 当人固有に書き溜めた記憶情報がまず意識の中に用意されている。
 次に、生きていて現実と向き合い、それをナウどうさばくか決める判断をする。
 そこでは『五感で認知した感覚入力vs過去の記憶情報』をリアルタイムで整合しつつ、おのれの身の振りの正否判定の処理フローが走っている訳だ。さらにそれら一連の情報処理過程もまた、ドラレコ式に常時記録されていると。
 この判定処理と記録書き込みこそ『ジブン感=主観』なのではないかと述べた。

 既に処置方策の確定した出来事が代わり映えもせず繰り返されると、この主観が現実をナメ始めるのだ。今やっている一連の作業をもうひとつ上の階層から俯瞰するスタンスで、『ああ、次に遭遇する現実もどうせ同じにしかならないよな』と類推予測するんだろうが、とにかく目前の直接作業に対して、素直な注意力をもっての情報処理フローで稼働することをやめてしまうのである。
 恐らくは、生物がひとつでも多彩な経験を積んでパターン性のある行動を広範囲に習得し、効率よく生存しながら進化の可能性を高めるには、この作動特性が強かったのだろうと思われる。
 つまり標準作業や定番業務での『見過ごし・見落とし』『うっかりミス』なんかは、気の緩みだとかタルんでるとか、疲弊や鍛錬の概念で扱うような『精神力』の不足によるものだけではなく、もっと生物学的・脳科学的原理ゾーンの情報処理精度に原因があるはずで、故に手強い。

 再度、社会組織も生物である以上は飽きる。
 本当にはずせない組織稼働があって、それを実現せねばならないのなら、『組織に飽きられないため』ただそれだけを目的にした工夫も必要となる。例えばだ。

 もはや『新型コロナ』という表現では指し示せないくらい、比類なき変異に変異を重ねて異質の未確認ウィルスに変貌しており、それが当初に比べて格段に致死性の高い凶悪な病原性を持ち、今なお日本社会で次々と新たな感染者を発生させていて、重症化病棟は息も絶え絶えの患者で溢れ返っており、医療崩壊により取りこぼされた自宅療養者には、20代30代で苦悶しつつ絶命する犠牲者も続出…とまあ、ガチそんな社会危機に陥っているならば、これは手段を選ばず感染経路を全て断絶せねばならない。
 今たまたま日本中どこを見渡してもそんな光景が微塵も視界に入っては来ないのだけれど、そりゃ簡単に誰もが想定して見に行けるようなところなら、とうの昔にもっと大勢が気付いているってことか。
 この日本列島の一角あるいは複数箇所で、恐怖の殺人ウィルスが死病パンデミックを起こしながら日本社会に牙を剝いている、その阿鼻叫喚の先にある国家破滅の真相に1億2千万人は気付きもしない。

 そんなハナシだよね、地方で次々『緊急事態宣言』とか抜かすシナリオだと。

 今いちいち何がどこまで正しいのかはともかく、日本国の運命の真相が上記の通りだとすると、日本国民の生命を守るための国政は、もう一刻を争う強権発動の局面にいるはずである。
 この1年半の国政の途中経緯が適切だったかどうかは一切不問に伏せるとして、とにかく1億2千万人日本国民が飽きた。飽きたがために、死病コロナ肺炎に対する恐怖感も、社会全体で協力してそれを撲滅する使命感も、もうガタガタのユルユルになっている。これを叩き直さないとナニも始まらない。

 いま国政が直面している問題の本質は『飽きた日本国に、手段を選ばず真相を正確に認識させ、本気を出させる』ことであり、もう随分前から飽き飽きになっているナントカ宣言だのウンタラ措置だのの御大層な発令なんかでどうこうなるもんではない。
 言ってしまえば『人流』とやらが多すぎて気になる休日の繁華街や、混雑が戻り始めた通勤時間帯の交通要所に自衛隊を立たせ、人々に銃を突き付けて『家に帰れ』と命ずるぐらいには徹底しないと、飽きてタルんだ精神薄弱者の現実を顧みない行動により、日本全国が死病コロナ肺炎で滅んでしまう。国家存亡の危機、まさに緊急事態なのだ。

 現代版『稲むらの火』でも考えますかね。
 大地震に見舞われた直後の海岸近くの村のこと、皆すっかり忘れていたなか津波来襲の言い伝えを憶えていた男が一人いて、山を上がったところにある自分ちの田んぼの刈りたての稲に放火した。他ならぬ大切な収穫物の火事のこと、村人たちは何もかも放り出し総出で消火のため山に駆け付けたのだが、すっかり留守になった村を津波が襲って来て村人たちは命拾い…という、割と有名な教訓含みの昔話である。
 以前にやった『クライシス・コミュニケーション』【909】【910】にも通ずるのだが、なかなか思い通りに制御の効かない社会組織の危機意識をいざという局面でうまく動かさないと、避けられたはずの大損害を喰らってしまうということだ。
 『稲むらの火』の例では、生命や生活を脅かす大損害のきっかけを敢えて意図的に山に放つことで、そちらにタルんでいた仲間たちの関心を集中させたのである。

 それこそ自衛隊が出動して、出勤や外出を強行しようとする連中に実弾で発砲でもしないとダメなんじゃないすかね、こんだけダレダレの危機感の甘い社会風潮では。せっかくの特殊設備も訓練も、希望者もロクにいないのに得体の知れない薬物注射の大型会場だけ設置するからそこに出て来いだなんて、無駄遣いもいいとこだろう。
 不特定多数の誰にでもワクチンとして接種できるようなウィルスの無毒化・弱毒化はゆめゆめ簡単ではない。日本国民は現状の国政を見て、こいつらが事後万一の健康被害に責任を取れるかどうか考えてから、何がどれだけ効くのか知らんが、面白そうなら御自身の腕に注射してみてはいかがだろうか。

 社会のルールなりに、いろいろ発言や行動に制約がかかってしまうとされる窮屈な社会的立場は多々あると思うが、たかがそんな『決め事』になんぞ一切関係なく『社会組織は飽きる』、これを忘れてはならない。
 やむなしの真面目に徹するとこうなる、それは最初みんな理解する。
 好意的に受け止められ、道理に適った物事の展開も約束される。
 だが事態が閉塞したまま頑なにそれだけを続けていると、無情にも飽きた組織は心象を変えてくるのだ。社会組織というのは、げに恐ろしい生物なのである。

 人生を賭けた大事な会社やお店を失うような目に直面している人たちが大勢いて、そんなつらい気持ちがたくさん混ざった日本社会の組織の自我が、いま険悪に飽きてきている空気感が心配だ。みんなして、できるところから気分転換を図らないと。
 この穏やかならぬ日本国の心に面と向かって腹を割って、現実的に会話する形で応えなければ、いずれ1億2千万人の集団が社会組織でなくなる日が訪れる。
 まずはしっかり生き残りましょう、御幸運を!
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