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【888】命綱までサヨウナラのゼロイチ証拠隠滅策 [ビジネス]

 どこまで記念すべきかは判らんが、とうとう8でゾロ目の回となった。
 めでたいのかねえ。二進法にすりゃずらりとゼロイチの列になるだけだけど。

 もう『若気の至り』という微笑ましい解釈が到底使えない河野太郎、ここでは随分前に見限った訳だが【773】、その判断に誤りはなかったと確信する。まるで捨て待ちの便所タワシ見てる気分だ。
 私は別にハンコ至上主義の人種ではないと改めて断っておくが、『現物としての紙に押印する』過程にまつわる現行の作業プロセスをよく研究して、そこでなされる必要十分な事態の把握と意思決定および現物ベースの記録管理とは何なのか、まずそこを国政として理解できているところを保証しないと、日本国民は誰も納得してないし、『また』勝手に自爆テロで暴走されても迷惑なだけで、何もかもが発散するぞ。

 端的に、現状でさえ『アレは記録に残してません、コレは捨ててしまってもうありません』『コイツが無いというんだから、そういうことにして終わらせとけや』みたいな嘘デマカセでとぼけて済ますような不正工作にばかり執心しているのが、この自爆テロ非国民犯罪者政権だろ?
 便所タワシさあ、右傾ガッコにしても税金花見の飲み会にしても、このへん書面の証拠はどっかに全部残ってるんだから耳を揃えて国民の前に提出して然るべき処置を完遂するか、それともてめえらでついた嘘をつき通すんならつき通すで、『書面は無い』と言い張ったままでもう仕方ないから、じゃああるはずの書面を今から新たに公開で再現してそれに厳格に従う形で、国民がみんな知ってる真相のその結末までかっちり実現して、日本国組織の自我の気を済ませないと、ハンコも何もまず書類文化のセキュリティ論議からして始まんねえんだよ。オマエ日本国民・日本社会をなめてんのか?

 昭和の時代いやナウ現在も、日本国民は『これって役所に出す書類だから、間違いましたでは済まないんだからねっ』と、記入内容を下書きして推敲して、原紙には鉛筆で薄く掛線入れて、たまに文面まで薄めに鉛筆書きして、その上からペン書き清書で墨入れして、シワ入れないよう消しゴムかけした上で、何度も角度を確かめながら緊張しまくってハンコ突いて、そこまでしてオオヤケに向けた意思決定を発信しているのだ。これが一旦受理されたら迂闊にひらひらと翻せない。
 だから誰もが作成段階から慎重になるのだし、そんな文化を悪用してブツとしての証拠書面だけ手に入れようとする悪徳商法や詐欺の類も出てくるのだし、さらにその対策として私文書作成関連の法整備も時代と共にアップデートされてきて、クーリングオフなどの制度も普及するに到った。
 繰り返すが、日本国民が信頼を寄せて税金を拠出し、それに応えて正しく記録を残しながら運営されるべき公務の領域において、一部の勝手な判断で『あれは記録してません』『この記録は捨てました』などと結論めかして済ますような言動は、社会の運用原理として許されない。成立しないのだ。

 こういう『社会組織の自我への裏切り行為』に関わったヤツは、人類の歴史を振り返れば、死刑あるいは系外への永久追放という形で、組織力による確実な再発防止の処分を喰らうのが鉄則であった。組織の自我を裏切る不良個体は組織生命を脅かすため、その組織空間から消すという理屈である。
 そのうち人権の概念が固まってきて、人が集う社会において誰かの命を奪うとか、衣食住さえ叶わなくなるような絶縁を突き付けるのは、よっぽどのことが無い限りはよしましょうという流れになった訳だが、今般一連の自爆テロ非国民犯罪者政権の日本国自我への裏切りは、そこに籠められた良心と善意を蹂躙し、人類文明の知恵や理性を否定するものだ。
 今なお未解決の人殺しまで含む数あまたの反社会的行為を、『デジタルデータなので消去しちゃいました』『デジタルデータなので盗まれちゃいました』みたいな言い訳を無限に許す日本社会にしてしまえば、もう下民が政権に逆らう余地なんかなくなるさ、これが便所タワシの言い草だってことだよ。
 ちっ、そういやコレもオツムのいかれたガイキチ非国民の世襲か、まったく…

 ところで、あほ丸出しデジタル庁とやら、よっぽど役人組織からの突き上げが激しいと見えて、捨て駒チームワークでやんやとデジタル化に口裏合わせて一斉に速攻かけるお達しが出ているようだ。
 これに夢中になるあまり『被災地の復興』を黙殺してしまい、いつもの定番スタイルでバレバレ言い訳を読み上げさせられる古電球だが、それでこいつら一同の不見識が治る訳では全くない。

 『FAXは聾唖(ろうあ)者にとって防災の命綱なんですよ』と教わったことがある。
 聾唖者つまり耳の聞こえない人たちは、携帯に着信しても、テレビやラジオから警告音が鳴っても、それに気付いて注目できない。十数年前の当時にして『テレビの上に置いたFAX機から感熱紙が吐き出されてくる光景が、防災情報が最も認知されやすいとされる着信モードなんです』とのことだった。
 ここで知っておくべきは、この時代の固定電話やFAXはアナログ回線の通信だということである。
 携帯電話などデジタル回線を用いた通信は中継点が停電すると繋がらなくなるが、アナログ回線は、極端に言えば『電線さえ切れてなければ繋がる』的な素朴さゆえ災害時のロバスト性が高いのだ。だから高齢者など要介護者宅に設置する、ダイヤルもプッシュボタンも無くて、でっかいボタン一発で救急専門機関に繋がるようになっている緊急電話機は、今もアナログ回線で設置されている。学校など避難所としても機能するような公共機関にほぼ必ずFAX機が置かれていて、作動確認を兼ねてしょっちゅうでないにせよ現役で稼働させられているのもこの理由による。
 緊急連絡網の一角にFAX番号の記載があって、保護者連から『なんで今の時代にFAXなんて!』と悪しき旧態依然扱いされてしまう話はよく耳にするが、実は鉛筆一本ままならない被災時の現場で、雨に濡れてもそのまま手渡し交換・読み上げ・貼り出しできる紙面情報を、一番しぶとく伝えられる通信手段がFAXだったりするのだ。

 『ハンコの次はFAXを無くしたい』だと?はぁ?
 日本国民はオマエらを無くしたいんだけどさ、この電子文書で受信できてるか?

 人殺しも税金花見も、『記録が無い』などという事実そのものが許されない。
 このテの記録を残すのは、組織の自我が物証を根拠に断罪を決心するためだ。
 裏返せば、組織の自我が疑いもなく対象を特定して処分できるなら、すっきりと気を済ませられるなら、記録なんぞ無くとも全然構わない。順に摘発した標的に然るべき措置を済ませては、組織の自我は満足感を高めて次の標的を探す。史実には枚挙に暇が無いが、それだけのことである。

 我々日本国民はささやかにハンコ突きながら、日本社会組織の自我に遠慮なくモノを言わせていけば良い。
 いずれ気を済ませた日本社会で御一緒しましょう。では引き続き、グッドラック!
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