SSブログ

【848】ピンチで学ぶ未来経済 [ビジネス]

 何だか突然に出口戦略、出口戦略と言い出したな…って、消費税率引き下げ論議やチラチラ話題になる『Go to キャンペーン』みたいなムダ費目の削減に話が及ぶ前に搔き乱して、前々からの仕込みに手つけずのままフタをしたくてしょうがないんだよ。
 出口もナニも、そもそも入口に入れてないんだがねえ。

 まあいいや、出口と言うからには、前回のパンデミック初期対応3ステップのうちの『3.初期インパクトが過ぎたら、平衡作動点の巡行ペースを模索しつつ軟着陸』のつもりのアピールってことなんだろな。
 感染症のダメージを喰らうビフォー・アフターで、社会総観的に『やられる』ぶんの被害代が単純な引き算になるのは解ると思う。全員でウィルス感染を防止するための手間とコストを負担しながら、一定確率で病気になったり死んだりしながら、つまり社会組織としては生産力を一部失いながら稼働する。これが初期インパクト後の一次平衡作動点だ。

 もう一段階さかのぼって、『2.全員を拘束するにあたり、生活費を一時金として支給すれば成功しやすい』と述べた。そう、成功しやすいのであって、社会組織の運営要件として必須なのではない。
 最低限の共同生活を成立させるだけの素朴な社会組織では、今般のような天災においては自助が常識である。人生山あり谷あり、人間だれしも生きていて不運には遭遇するものだ。昭和の時代だったら、経済的に行き詰まるのも『自らその生業を選んだ本人で完結すべき問題』と判定され、みんなただ現金が配られるなんて夢にも思わなかったろう。
 熊本地震の時だったか、やはり『被災者の生活保障はどうするんだ、どうしてくれるんだ』みたいな論争が起こっていて、同い年の友人が『あれって本来、助けてくださいvsよし来た心配するな、のハナシじゃないのかなあ…』と納得いかない表情で語っていたのを思い出す。

 原則その通りで、だがしかし社会が多層化し機能分化し、今や第三次およびそれ以降の産業=農林水産でもなく、製造・加工でもない『文明社会に新出する価値概念を売買するサービス業』の経済規模が、昭和の時代に比べて随分と大きくなっている。リアル物品の生産ではなく、経済社会の価値流通の中だけで生きている人間が増え過ぎていて、かつてと事情が違ってきているのだ。
 経済活動なるものは社会全体規模であっても人間の決め事として『ちょいと止まる』のだが、昔も今も変わらない個々人の衣食住を維持するための固定費にまつわるカネ流れの方が、そう都合よく止まらない。昔風の常識感覚だと大勢が干上がってしまい、これが社会崩壊を呼び起こしてしまう。

 従って『カネ』という一元的な定量尺度で、ありとあらゆる価値概念が交換される社会においては、こういった『不意不測のカネ流れの急変事態』に対して、社会統治システムとして『交換なきカネの増減操作』の方策を持っておいた方が合理的とする考え方が台頭してくる。まさに『時代』ということなのだが、もちろんガツンと喰らった急変にソッコー打ち返すタイムリー性が揃わなければ意味は無い。
 因みに『不意不測』『急変』と述べたが、人類文明の情報化が進んで非・物理的領域の経済規模が大きくなってくると、災害なんか喰らわなくても従来とは次元違いのスピードで、社会絵図のカネ流れが絶えず潮流を変え続けるようになると予測される。リーマン喰らって黒潮の蛇行、ぐらいではとても済まず、日々世界中がこれ鳴門の渦潮といった感じになるんだろうな。

 こうなってくると、昔も今も変わらない人々の衣食住固定費ゾーンを分離して、最低限の社会保障で守る必要性が現れ出てくるワケだ。この理由が全てではないのだけれど、こんな世情の今、ベーシック・インカム原理の理解しやすい一面として頭に置いておくと良いと思う。労働意欲が落ちてどうのこうのという説は単純に間違いではないのだが、背景として想定している経済モデルが古すぎる。
 ベーシック・インカムについては、感染症のハナシのついでじゃない形でまたいつかやろう。とにかく現状ニッポンは、国家運営として『交換なきカネの増減操作』でタイムリー反応する能力に欠け過ぎている。

 このあたり、既に今日でさえ古すぎる経済モデルを引きずって無意味な論争にグズグズ時間を浪費している行政がもどかしく思えるのは、自然な感覚だと思う。無駄な物事に取り合わない彼流のソリッドな割り切りが必要以上にぶっきらぼうに映って損している感があるが、経済人的論点で放つホリエモン氏の発信は理解できるものだ。
 超巨大生物・グローバル経済市場も、その中に生きる日本国社会も、個々人の事情心情なんぞ待ってはくれない。自己責任で生き抜いて、おいくらか配るならさっさと決めて配って節目をつけ、何より社会組織の生命活動を止めないよう積極的に、被弾を承知でコトに立ち向かわないと、みんな揃って立ち行かなくなってしまう。

 まあそんなこんなで致命的にトロい国政を見捨て、いま各地の自治体が独自に工面できる手段を尽くして、住民生活の最前線に対する現実解を模索しているということなんだろうな。本来であれば、自治体が動くにも、その社会基盤として、国家による国内一律の行政指針が発令されていて然るべきところだ。
 経済再生の名札ぶら下げた口先生意気なだけの役に立たない無能カマキリ人形いらんだろ、あれ目障りだよ。昆虫仕立てゆえ脳みそがなくて神経節の反射だけで大阪府政に反応するのは仕方ないとして、日本国は人類文明を理性で動かす組織なんだから、早くちゃんと情報処理デバイスとして機能する人間の適役に交換しよう。

 今般コロナ流行禍の『経済再生』を口にするのは早すぎるのだが、その後の再生まで視野に入れた経済基盤の基礎体力確保のため、消費税率の引き下げは絶対に実施するべきだ。
 『一度下げると再び上げるのが大変すぎるから』というのは真っ赤なウソで、ほれ、御覧の通り突然ガッコは閉めさせるわ、1ヵ月の緊急事態宣言はすぐ延ばすわ、それも誰がどこで決定事項にしたのかも不明確なまま、コロンコロンどうにでも二転三転するのが国政である。
 世論が『効く』追い詰め方をすれば、消費税率引き下げは簡単に実施可能だ。
 子供から大人まで国民全員に等しくガチの負担軽減が感じられ、日本社会組織の自我に国政の対策意識が実感もって響くため、行政指針に対する日本社会の追従反応が良くなる効果が期待できるのだが。

 あれ?ときに右傾インチキ詐欺与党の小ジャリ議員学芸サークルってどうなった?
 『消費税引き下げ提言』とやらは、最初から嘘デマカセのあっぱらブラフを全日本国民納得済みってことで構わないからさ、せめて続編をやれよ。未完打ちっぱなしの尻切れが完結したら採点してやろうと思って待ってんだけどさ。もうオワリなワケ?

 感染者の検出数はデータ処理の人為的プロセスが絡むのでともかくとして、それにしても隠すに隠し切れないであろう死者数の規模と累積ペースが、この日本国では少なめに収まっているのが不思議ながらも幸運だ。人種違いによる罹患特性の差があるのかも知れない【834】
 いま国際社会において各国が対処に苦慮している訳だが、日本国は真っ先に『軽くかかりかけ』でそれを感知もできていた。それが自国組織へのマトモな対策処置も一切できないままずるずる事態の悪化を招き、何故他国から手遅れ的外れを厳しく非難されるような失態にまで陥ったのだろうか。

 長らくダメを知りながら他人事にして放置していたんだから、そりゃダメですわ。
 知って知らん顔していたダメが、遂に我がコトになって具現化しただけの話だ。
 まだ被弾もしまくるし犠牲も出るんだろうが、生き抜きましょうぜ。御幸運を!
nice!(14)  コメント(0) 

nice! 14

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。