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【846】大衆マスク協奏曲の強制ミュートボタン [ビジネス]

 年明け間もない頃に感染症の流行を集中的に扱い始めて、もう初夏の季節だ。
 1月の時点で『ヒトからヒトへの感染が確認されていない』だとか、明らかに『政府は動かないぞ』という態度を決め込んで古電球が愚かにもふんぞり返っていた訳だが【818】、当然そのままでやってこれたはずもなく、徐々にではあるが何となく国政の対応らしき騒ぎも出ては消えで次々過ぎ去っていった。
 さて3ヵ月半つまり100日ほど経って、一体ナニが国政操作として国民生活の現場に施されたのだろうか?

 別に届かなくて良い、今すぐにでも中止すべき利権ダメノマスクぐらいである。
 その『スピード感』についてはどこか他で論じていただくに任すとして【841】、この新型コロナ・ウィルスの感染メカニズムについてはまだ解明されておらず、だからこそ個々人が現実的にやれる感染防止アイテムとして、日本のみならず海外でもマスクに頼ろうとする傾向はあるようだ。だが、繰り返すがウィルス感染の防止という科学的観点で、正直のところマスクは気休め程度にしかなり得ない。

 そのはずなのに、今どきマスクをせずにちょっと人のいる所に出かけると、あちこちで妙な警戒心を漂わせられてしまうのは、どうにも困ったものである。
 実効性を確信できる対処方策が叶わないと、『藁にもすがる』というやつで、人間はあやふやな根拠を自前の情報として組み立てて苦し紛れにそれを実行し、心の拠り所にしようとする性向を持つ。図や言語の人工概念をツールとして、空想世界の出来事を一連の情報体系に仕立て上げ、現実と綯い交ぜに放ててしまう、人間ならではの特徴であると言えよう。動物くんたちはこんな馬鹿げた過ちは犯さない。

 今般、ガチ真剣にどうしても別の本来的な目的でマスクが必要な重要社会機能の現場で、激しくマスクが不足しているのだ。医療スタッフのマスク交換事情が3日に1枚のペースだなんてあり得ない。
 確かに新型コロナ・ウィルスの感染拡大は大問題だが、以前からある他の疾病が活動を止めて待ってくれている訳ではない。現場の現行の衛生管理はもちろん医学的な根拠に基づいて今日の姿になっているのであり、今ここから大幅の引き算になっているからには、元々あった医療機関の本来機能が厳しくレベルダウンしているはずだと理解せねばならない。

 ただでさえこの経済失速により節約生活を強いられる一般庶民が大勢いて、そんな人たちが何日も同じマスクを捨てられずに使い続けながら、遂には時間とカネかけて値段の吊り上がったマスクを競争で買わねばならない社会風潮なんて、明らかにどうかしている。狂っている。そこでだ。

 まずはレジで交わす定番の会話だけで構わないので、手話の普及を試してみるというのはどうだろう?
 『有難うございます』『レジ袋は要りません』『レシートお受け取り下さい』
 このぐらいあれば結構いけるのではないだろうか。
 両手が空いてないとちょっと困りそうなのが気になってはいるのだが、昨今スーパーやコンビニでも透明シートを天井から吊って呼気の遮断はしていることだし、無言で、でも笑顔で、しかも女子たちはメイクばっちりの御洒落も再開できるんだし、割と習慣として拡がる可能性がありそうに思う。マスクはまず医療機関に全数集結だ!

 実は手話といっても全国一律にそのジェスチャーが決まるものではないらしい。
 聾唖(ろうあ)者つまり音声聞き取りの聴覚世界を生まれつき持たない人々の交信用として、身振り手振りで文法まで全て確立しているのが『日本手話』である。この瞬間わかるが、外国語の手話はまたその国の母国語として各々に存在する。
 面白いのは、やはりというか世界共通語=エスペラント語のコンセプトで開発された手話体系もあるのだそうだが、これまたやはり普及率が低く実用化で効果を上げるには到っていないのだという。
 で、この日本手話よりは、話者の読唇リーディングとの併用で用いられる、簡易型の手話が一般的なのだそうだ。学びやすく慣れやすいので、こちらの方がポピュラーに流通しているらしい。

 知って驚くハナシとして、地域別の方言まであって、かなり一般的な単語を表すにあたっても、全く異なるジェスチャーが使われていたりする事実だ。
 例えば『名前』だと、左の手のひらを相手に向けて立てて見せ、右手の親指でその中心を指す。しかしこれが関西弁?だと右手の親指と人差し指で輪っかを作り、左胸に当てて見せる=胸に付けた名札を強調する仕草…になるのだという。へええ~とか興味をお持ちいただいたのなら嬉しいですな。
 今の時代、仰々しくシチ面倒臭いプロセスを踏んで、今さら日本全国標準手話みたいなのをどこぞの偉そうなセンター役が提唱するよりは、まず各地の好きに任せておいて自由に展開させ、ネット会話のネタにした方が盛り上がるんじゃないかなあ。うまく拡がるかどうか、私なんかより好きな人・詳しい人、ぜひ試してみてください。

 素直な主張を表情豊かに伝えることが必然的になるからか、聴覚障害を持つ人は動作が活き活きとしていて性格も率直で明るく、あれこれと会話のきっかけを見つけては楽しく友好的な展開をさせるのが上手いように見受ける。
 カネかけずにこのイマイチ不便っぽい非常事態の日常を面白くするには、ちょいと試す価値のある題材だと思うのだがいかがだろうか?

 いっぽう日本国憲法に『緊急事態条項』とやらを加える必要があるだのないだの、まあつくづく国会というのはあほでヒマで浮世離れした役立たずの雑談集会だと言わざるを得ない。
 ここで私が結論を出してやろう。そんなもの不要だ。

 冒頭に述べた通りまだ何にもマシなことできてないんだし、世襲のガキがどこぞのヘタクソな作文をぶつぶつ読んでたけど、まあそんなもんどうでもいいよ。ガン無視シカトで放っておけばよろしい。
 どんなに大層で厳格なルールを作ったにしても、いざ文明を超えた現実の不測の事態に直面して、そこに籠められた情報を迅速に読み出し、人類の組織活動に役立つ稼働が得られなければ何のメリットもないのだ。ハイ却下!

 情報は、その一般性をもって組織全体の生産活動を具現化してこそ意味を持つ。老衰で気が狂ったボケ老人の私欲が真っ先に解釈に介入してしまうばかり、その弊害をきちんと排除できない知的貧弱な組織ならば、そんなジャンク情報アイテムの品揃えに時間をかけるだけ単なる無駄でしかない。

 憲法を掲げ日本国組織を成して、世を生き抜く目的意識を有する日本国民の日だ。
 解らない、興味ない、知~らない、を改める日だと思う。では引き続き御幸運を!
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