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【787】無知爛漫な毒牙の血清ストック [ビジネス]

 またしても台風の来襲が予想されている。なんでまた今年に限って、今頃こんな。

 今さら私から起案することでもないような気がするけれど、もう『あほ』はやめませんか。
 すいませんね、ノーベル化学賞受賞の祝賀ムードには水を差す行きがかりになっちまって。確かに同胞である日本人の努力の成果が世界的に讃えられるのは、我々日本国民にとって誇らしいことなんだけど。
 それは素直に受賞者さんに対して『おめでとう、やりましたね!』を申し上げて喜ぶとして、問題なのは日本社会の空気=日本人の過半数が『日本国って所詮こんなもんだ』と思い始めかねない、社会規律の多面的かつ同時多発的な崩れ方である。

 我が国での出来事として、成人が真顔で取り合ってはならないことばかり続いている。
 それらが社会のいろんな場面であまりにも行き過ぎており、それぞれがただならぬ二次三次の弊害をばら撒いている。違うだろうか。
 くだらないことは目に付くところに出すな、人として語るなとは言っていない。いや、事実が起こってしまったら、それが我々日本社会組織の率直な現状なのだし、むしろそれは皆に周知されねばならない。

 そんなものを周知するかどうかという問題を大のオトナが考えないで済むように、そもそもから日本社会で起こってはいけないようなことは、皆で協力し合って起こさないようにすべきだと言っている。
 『こんなの我が日本国の出来事であってはイケナイ、何とかしないと大変なことになる』というネガティブ不安感でまず始まる情操反応を、日本人の過半数がきちんと備えていて欲しいと切に願う。

 ポイントを絞っておこう。
  『組織の正義と、一般論の正義は違う』
 子供を相手に、所謂『オトナの理屈』なる概念が語られるのは、この違いに基づき
  『子供の頃に学んだ一般論の正義ではなく、社会人が生きる社会組織の正義はこう』
という理屈が存在するためだ。
 だからこそ子供たちには、成人までの発達過程で確実にその相違点を理解させ、納得の上で習得させる必要がある。社会人になるための大切な情操教育の必須ステップである。

 解りやすさを優先して、少々ショッキングな極論を挙げよう。
 単純なハナシ、人が死んでも、死んだという事実だけなら殊更に問題視するに値しない。

 そいつが原因で社会組織の多くの仲間たちが、それこそ命を落とすほどの不利益を被っていたり、社会組織全体の生命体稼動に大きな失調がもたらされており、ママ放置すれば同列にいる他組織の餌食となってしまう…なんていう行きがかりがあったなら、そりゃ端的にそいつは『いるだけ迷惑、死んだ方がマシ』ということであろう。
 ここに涙目で『どんなイノチにも、この全世界より大切に思う誰かがいる。死んじゃうなんてあり得ない、生まれて来てくれてありがとう』みたいなトンチンカン自己満美談に酔払いつつ、個人的な感情解決の手段として騒ぐのは勝手だ。
 だがこれを『組織の規律』『生きとし生けるモノで無条件に共有すべきこの世の規律』というスタンスで他人を撒き込むとなると、これは許されない行為だ。

 組織枠で考える最もシンプルな理屈として、そいつに迷惑をかけられていた立場の人々の実害やその賠償の方が、遥かにナウ・リアル現実的な組織の損害だからである。
 その処置を誰が引責し、実際にどう完了すべきかの問題が二の次にされてはならない。というか、二の次にしようとしても、現実問題として二の次では物事が進まない。

 生命体としての社会組織は、人間個人にとって『イノチある生物』として意識されにくい。何か実体をもって苦痛を訴えるとか、会話できなくなるとか、臓器の活動が停止するとか、人間個人相当に痛がって辛がって死んでくれないので、すぐないがしろにされてしまうのである。
 我々は社会組織なくしては生きて行けないのだ、と言えば普通に大多数の人々が疑問も感じずに賛同する。だが今いきなり社会のそこらで生きている人間一人を未開の原野にぽんと放り出したとして、即刻に呼吸が止まってあの世へ旅立つ訳ではないため、実はほとんどの個人には相応の逼迫感をもって認識されないのだ。ここが難しい。

 社会組織には質の違いがあり、もちろん我々現代の高度文明に暮らす人類としては、個々人が満足度の高い生活を送りながら安心して暮らしており、みんなで思い思いに力を合わせて役立つモノを産み出して、人がそこに帰属していたいと思えるような、そんな生命単位を成立させていたい。
 この上質な社会組織を維持するためには、暮らしに役立つモノを産み出す知恵や技巧を伝承・進化させて、広く個々人にフェアに満足感が湧くような仕組みが必要だ。概して、いつも仲間を良心的に気遣い、一定の規律志向に沿ってベクトルを揃える人生観が、その大切な要件となる。

 このベクトルの同調性が『組織の正義』であり、これを不当に乱すとなると、その個人は組織から消えろということになる。条件次第でそれは当人の『生命の消滅』を意味する。
 これが先ほどの『人が死んだという事実だけなら問題視するに値しない』の読解である。

 おっと、本題に言及する前にえらい分量になってしまった。
 古い言い回しを流用すると『いま日本社会が狂っている』ということになるのだろうが、目前の現実を的確に認識し、複数の人間が協力し合って、ある一定の規律性を軸に、組織活動で暮らす幸せな生活が流れていく…という文明社会のキホンに人の目が向かなくなっている怖さを感じるのだ。
 ちょっとヘンテコな切れ目になるが仕方ない。デジタル・ネイティブならぬ現代文明ネイティブは、案外深刻な致命的弱点を生まれ持った人種なのではないかと思っている。

 コトバの選択が少々アレだが、『賢い人たちと上質な時間を暮らしたい』という永遠不変の願望がまずあって、『賢い人たち』を集めた『上質な社会』をどこか現実に確保する必要があるのかも知れない。
 大阪の成長を止めるな。
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