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【734】語り継ぐ『教科書に載らない社会科』 [ビジネス]

 私の小学校後半時代の担任の先生は、『日本の政治は10年遅れている』とよく話してくれたものだ。昭和50(1975)年前後の当時、小学校の授業時間フツーにそんなハナシがされていたというのは面白い【458】【459】

 当時の国家観・政治観が実にシンプルで、それが最終的なものではないにせよ目指すべき『正解』みたいなものが実在しており、未熟な日本国はまだそこに向かう途上にあるという構図が窺える。
 うっすら記憶にあるのは、欧米社会では日本に比べて『世の中はこうあるべきだ、こうしたい』という気持ちを各自がハッキリ持っていて、そこらの普通の大人を捕まえてしゃべらせれば、日本の大人みたいに他人任せの知らぬ存ぜぬはあり得ない…みたいな話の流れだったことである。
 それにしても『正解』からの遅れ代が僅か10年だというイチ教師の自覚は、高度経済成長期にあった日本国が、追いつけ追い越せの希望に溢れていたことを物語っているのではないだろうか。

 この見識は子供心に少々不思議で、みんなで暮らすこの世間の事はみんなの納得で決まっているのが当たり前のはず、そうして決まったこんなに何もかもフツーに動いている世の中に、あれやこれやと違う理想論を唱える大人たちが沢山混じって構成される社会なんか想像もつかなかった。平穏無事である以上は、そこそこ誰が見てもおかしくないルールに従って、みんなの積極的な合意が取れているものだと信じ切っていたのだ。
 『社会全体でみんながならう決め事に、誰かが悪い気を起こすことなどあり得ない』、これを自明の世界観として生きていたのは、恐らく私だけではなかったと思う。後に私は随分と大人になってから、それがいかにも日和見な全員幸福社会の産物だと知ることになるのだが。

 欧米文化は、ぶつかり合う拡張志向の権力が国家組織の内向きに働いて、一部強者の『言ったもん勝ち』で強制される不平等な階級制度が慢性化していき、そのうち遂に理不尽な負担を強いられ続けた被・支配側が、個人パワー×被・支配層人数規模の組織力で実力行使に出て勝利し、民主主義の成立に到ったものだ。だから『自らの自由は、自力で勝ち取る』という生存欲求の原理が、社会組織の自我に実感をもって記憶されている。
 ほら、ガッコの教科書でも『革命』と言えば何となくフランスあたりがいっぱい出てきたくさいではないですか。ああいった史実も『自分と何ら関係の無い、昔々の外国のお話』としてしか我々は理解できなかったのだから、今の大人世代がいかに手放しで窮屈のない幸福感に恵まれて育ったのかが解る。

 改めて考えてみれば、倫理社会にせよ世界史にせよ『社会』という教科で、民主主義の正確な意味を、その成り立ちの史実を交えて本質的なところを解説し、きちんと子供世代の実感に響く理解まで保証するのが本来の義務教育であろう。
 我が身を振り返って、年号や史実の呼称で回答用紙のカッコを埋め、時に『コレコレ主義とはカクカクシカジカな思想体系である』みたいな一行解説文まで書いていたのに、それらの全ては『自分が暮らす日本社会をどうすべきか、どうしたいか』の自覚=社会人としての意識要件とは糸屑一本も繋がっていなかった。
 まあ日本社会が終戦からの立ち直りに全力を投じる未完成期だったこともあり、あの当時の現行社会を本格的に変えたいと考える連中はガチ『本気で社会転覆を目論む』というスタンスに自然となっちゃってたから、『日本社会をどうすべきか、どうしたいか』の議論が必要以上に危険物扱いされていたという面倒な巡り合わせはあったかも知れない。若者が自由に未来社会を語れない風潮だったってことだな。

 例によって余談を挟んでおくと、くだんの私の小学校後半時代の担任だが、あさま山荘に立て籠もったメンバーの一人を学童時代に受け持った先生と同僚だったのだそうだ。その先生は事件を知って大変に落胆し、『もう自分には教職員として子供に関わる資格がない』と退職してしまったとのことであった。
 日本社会の仕組み構築に実力行使で参画しようとする心意気は大したものだったが、それにしても1億2千万組織を相手に、あの無理過ぎるチカラずくでは、結局のところ日本国組織の自我に認められない。組織の自我に認められないということは、どの道いずれ組織内で淘汰される運命にある訳で、それならあんな事件を起こして犠牲者まで出すような手段は最初から選ぶべきではなかった。
 犠牲を出さずに最大多数の満足度を上げるための議会制民主主義を、その本来意義通り建設的・発展的に運用できるのが成人社会人というものだと思う。では我々はどこまで到達できたのだろうか?

 40年前に先進諸国から10年遅れていた日本の国政だが、そこから民主主義としての追い上げは何ひとつなされていない。つまり単純計算で最低50年遅れた位置にいる訳だが、幸か不幸か国家組織を単位とする人類文明は既に次の変革期を迎えており、かつての『正解』は最早正解でなくなった。
 これで日本国の遅れ代がガラガラポンのノーカウントになり、今日の閉塞状態が横一線のチャンスに生まれ変わる訳ではないが、開きすぎたビハインドを追いかけるよりは心機一転のチャレンジで取り組みやすいとする発想の転換はできる。
 これを契機に、『日本の政治』を全方位・全面的に即刻変えにかかるべき時期だと思う。

 …とここまで書いて、先ほどから流れている選挙速報について。
 期待通りに大阪で吉村府知事と松井市長が勝ってくれたから、次世代ニッポン社会の具体化検討アイテムとなる大阪都構想・特別区再編案と2025大阪・関西万博は、めでたく青信号である。ひとまず両候補、お疲れさまでした。
 本件、決して大阪だけの変革ではないし、大阪だけの変革に終わらせてはいけない。全国から若い人たちがどう絡むのが面白いか、府市議会の結果全貌が見えたらまた考えを巡らせていきたい。まだまだ、これからですぞ!
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