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【731】平成最後の難所決別記 [ビジネス]

 ずっと『ステロイドの御世話に腹を括って自身の体質とうまく付き合っていく生活』で切り抜けている知人に、今さらながら前回の暗算障害のような面倒なコトになっていると恨み節の愚痴混じりに近況報告したところ、しばし会話を続けたのち最後にはメチャクチャ羨ましがられて終わってしまった。なるほど逐一身の上を照合してみると、かつてトシのせいだ、健康なんてこんなもんだと思い込んでいた諸現象まで含めて、いつの間にか随分とマシなところまで持ち直している事実を思い知ったのである。
 6年半もかかっているのは想定外だがこの到達点は確かに正解、だがやはり『ね?イイでしょ~、今からでもヤク抜いちまえば?』などとは、とても軽々しく人に言えない。とりあえず先を頑張るとしよう。

 こうして新陳代謝を進め体質を入れ換えていく作業は、良い方にも悪い方にも、人間個人も社会組織も、それなりの経過と時間を要する。こんな痛々しい姿で写真撮っちまって向こう5年間どうするんだよ…と心配した運転免許証だが、あながちかけ離れてもいない見かけのままでその期間を過ごし切り、今度はほぼほぼ大丈夫な風貌で『平成36年まで有効』の更新版を手に入れた。

 さて『平成』の時代が間もなく終わる訳だが、私にとって平成とは『大人の辻褄が失われた時代』の感が強い。そりゃ平成以前の大人社会を肌感覚でよく知らないのは認めるけど、それにしてもこんなに計画性なかったっけ?と驚いたものだ。そう、かの『バブル景気』の時代である【104】【105】
 今なお『いい時代だった』式に懐古するメディア企画も散見されるが、若い人たち、あんなものにゆめゆめ憧れてはいけない。みんな浮かれていたが、あれで済むとは誰も心底思っていなかったはずだ。
 誰かがこのやりっぱなし無責任をひっかぶると知っている。そういう自分も今ここに一緒にいる以上は、後始末をかぶらされる可能性があることも判っている。だが。

 好況ニッポンこんだけ恵まれてんだから、それこそ浮世離れのハイリスク承知で超ビッグな賭けにでも出てなければ、一生を持って行かれるような借金人生になるはずもなかろうし。まーあ日本社会みんなで薄ら何となく希釈して、『良い時があったんだから悪い時もあるさ』なんて吐き捨てながら何年か倹約生活を強いられる時期はあるんだろうけど、それとて数年間のことだろう。カネは天下の廻りモノ、再び使い放題バラマキ放題の好景気がやってくるさ。
 自由競争市場の『神の見えざる手』なんてそんなもんだ。この程度の認識だったのだ。

 結論から行くと、この認識が間違っていた。
 そりゃそうだろうよ、だって考えるヤツひとりもいないんだもんな。そのぐらい解れよ。
 実は社会で定義される価値の総量と、それに吊り合わせる価格=通貨量について、『そこそこおかしくならないようにする管理が働いていてこそ、その管理枠内で市場の自由があり、その自由がもたらす神の手がある』という認識が正しい。
 …って、あれ?自由を管理だって?
 そんな管理を誰がやるんだ?そこそこおかしくないって何を基準に判断するんだ?

 『経済社会の自我が、社会の常識としてそこそこおかしくないことを基準に判断する』がその答である。
 端的に社会組織に参画している過半数が、まあこんな価値が社会で主張されまかり通るのもアリか、それって大体この程度のお値打ちだよね…と自然な感覚で共有するガイドラインをもって、『経済』と皆で呼び合う次元空間の共通認識が語れていること。これが経済社会成立の絶対条件だ。そこから余計な規制や介入を取り除いて、自由作動となる。
 自分ひとり社会的価値を1万円ぶん籠めたつもりだけでナニかを世に送り出しても、社会の誰ひとり値打ちを見出してくれなければ価値流通の原動力がまず発生しないし、誰か値打ちアリと思ってくれてもたった10円相当だとしたら、現実作業としてカネ交換の処理がなされず経済はぴくりとも動かない。

 みんなでやることには、みんなで『こうだよね』という世界観を共有している必要がある。

 2019年度予算が参議院の審議で方針転換叶わず、『自動的に成立した』という。
 これは政府与党が『ふっははは、我々支配階級がやると言ったら下民がどう反抗しようが我々の言うがままにやると決まっている。こうなったからには黙って我々の言いなりに従え』と勝ち誇り、いずれその通りに日本国がしげしげと動く展開につながる話なのだろうか?
 とりあえず『2019年度は何においくら国費を充てましょう』と書き込んだリストの内容が凍結されたという認識までは共有して良いんだろうが、こんな現実もついてこない断片的な空想列挙の落書きを『予算成立』と吹聴されたところで、日本経済の過半数を占める市場の現場は誰も動けないし動かない。
 自動的だの成立だの無意味な日本語を口走るヒマがあったら、急遽スケジュールを組み換えてでもちゃんと現実がついてくる予算を固めるのが先決だと思われるのだが。

 役所が日本社会の万年どん底不況を知りながら、市場調査のデータを不正に捏造して『日本経済は余力十分』とウソの内容に変えていた事実がバレた。役所はウソを認め、続いて万年どん底不況を裏付けるデータが堰を切ったように流出し始めたのだが、その事実をモロに突き付けられても、世襲のガキはえへらんえへらんふざけた態度で政策を直さなかった訳だ。
 あほもここまで来ると、これも『本人の勝手』ってことになるのかねえ。手錠が怖いんだろうが【691】、文字通りの処置ナシである。
 日々生活をかけて経済社会を暮らす日本国民の過半数としては、『ウソだと明白なウソに調子を合わせ、モノの道理として実際に失敗する』なんてヒマな自滅行為はやらない。日本社会の自我はアタマがおかしくなった国家経済統治を無視せざるを得ないのである。

 こんなデタラメなことになる理由が、旧来の日本文化にあると思う。
  『組織運営における機能的役職に、適性を無視した人選を放置して平気でいられる』
 これを平成元号の幕引きに合わせて、日本文化の抹消すべき弱点として、特定して意識付ける必要があると思う。そして将来日本勢力を構成する、未来ある社会層から、旧態依然の老衰寄り合い区画をきっぱり切り分けて隔離にかかりたい。

 その能力もなければ器でもない粗悪人種を要職につけてしまった現状がある…までは仕方ないとして、元気で健康な若年層まで含む組織生命体トータルの生存欲求の本能に逆らってまで、粗悪人種の無能デタラメを馴れ合いで放任する悪しき慣習が日本文化にこびりついていると思う。
 ある意味、日本人の君が代DNAに宿る強固な仲間意識の本質でもあるため、一概に『これからの時代の生き残りで勝算を落とすエラー誘発傾向』みたいな捉え方は、本当はして欲しくない。実際、日本社会の高齢化が進んで組織認知症が多発する以前は、『皆を括る上位階層の意識』で動ける要職が十分揃っていたのだと思う。

 元号が変わるのは大きな節目であり国家行事も立て込むことになるのだろうが、この自爆テロ非国民政権がやり散らかしたデタラメは、破滅へのカウントダウンが淡々と刻まれる中、現実性も無いまま国民に無視され続けるだけだ。
 高齢化で未来志向の行動意欲が出せなくなった巨大組織生命体・日本国、どこまで痛い目を見れば次の展開に向けて生まれ変わりの本腰が入るかという問題なのだが、まずはバカな大人どもが自分らのだらしなさに節目をつけるところから始めるべきではないだろうか。
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