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【722】グローバル連帯責任の内と外 [ビジネス]

 他の話題にも振りたいが、間を空けたら空けただけ事態が悪化しそうなのでもう少し。
 世襲のガキが皇太子殿下に『国内外の諸情勢』を報告に出向いたそうだ。

 まあ『日本国として、トランプ君を平和賞に推薦しますからね』と日本国の象徴たる皇室にきちんと断っていたとは思えないので、ここまでやらかした後に言い訳しに行ったということか。
 トランプ君本人の口から直々に『シンゾーから美しい手紙のコピーを受け取った』と語られているのに、その当事者が『私の口からコメントすることはございません』って一体どういう理屈なのだろう?個人レベルの人付き合いが誤解でこじれたのではなく、日本人1億2千万の総意が人目に隠して勝手に捏造され、北米大統領に向けて発信されたという大事件なのだが。
 意味不明な日本語口走らずにコメントしろよ。

 まだ全く決着していないガッコの不正決裁の一件では、『私と妻の名誉を傷つけた』だの『侮辱した』だの、手袋叩きつけてチャンバラでタイマン張るような時代錯誤の台詞吐いてたが、日本国民1億2千万人の名誉については、こいつ一体どう考えておるのだろうか。
 ついぞ真相を知らない日本国民が誤解した外国人に侮辱されないうち疑いを晴らすのが、政府の責任者そしてリーダーの役割じゃねえのかよ。
 今のままでは、我々日本国民は、世襲のガキに思想・良心の自由を侵害されたという事実情報だけなすり付けられたところで終わってしまう。

 とりあえず『見えないところで勝手に他人の口を借りやがって』式の立腹はしないし、しても無駄だし、だから最近流行の『謝罪を要求する』ってのもナシとしよう。
 余談だが、問題事象をろくに整理せず、やたら謝罪をするしないの感情論ばかりで騒いで、社会的措置として損害修復するため必要な課題を、関係者同士できちんと納得し合って共有しないケースが本当に多くなった。その場の感情はやがて減衰するが、実は本題は『社会組織がどう解決・消化したか』である。昭和の時代なら『謝ってもらうハナシは後で良いんだけど』『だから結局はどうしてくれるワケ?』みたいな、社会組織枠寄りの議論が優先すべき本題としてロジカルに取り組まれたものである。
 そして重要度として格下の感情論の領域が続くにあたっては、『もうさっき片付いたコトだから』『あと残り、しょうがないハナシはしょうがない』と、今よりも遥かにさっぱり終わらせていた。
 それが社会人としてのオトナの作法とされていたように思う。やたら感情面の被害を主張し善後処置を要求して絡んでくるのは、反社会的な世界のコワイ人たちの脅迫論法を連想させたものだ。

 まあいいや。そんなこんなで当面は我々国民に謝らなくて良いからさ、まず『対米外交のサプライズ点稼ぎを日本国内にアピールしたくて、トランプ君にゴマ擂る目的でやっちゃいました』というのなら、処置に動く自分がまずその事実認識をオオヤケに晒し周知徹底しないと物事が始まらない。皇室にこそこそ駆け込んで薄汚くしゃくりあげて見せただけでは、皇室の迷惑にしかなっていないのである。

 次いで、具体的にどんな文面の声明を世界同時発信するのかの公開検討なんだろな。
 こんな『国家の尊厳にかかわる下品な疑惑』の対応にモタつくようでは、今度はモタつく理由を疑われてまた新たな疑惑を呼び起こしてしまう。まさに国民総出で内向きの感情処理など二の次に放り出して、一刻も早く本筋のグローバル対応措置が必要な局面なのだ。

 率直に考えて、やはり国際社会での信用を以前通りに巻き戻す手段は無い。
 『世間に広く認められている価値=権威ある表彰をお宅サマがもらえるよう当局にチクっておきましたよ』と物証を貢げば、そりゃ取り入って何かのお恵みを期待する下心があるのは人間なら誰でも読み取れる。従来記憶ライブラリーに『好意のしるし』の関連情報さえあれば、一瞬で本件の経緯にストーリー成立の判断がなされ、一気にファイナライズ処理まで完了してしまう【711】
 これを巻き戻せと言うのは実現不可能、無い物ねだりというものだ。

 現実に手の届く範囲として、世界同時発信すべき情報の素案を挙げておこうか。
 相手が世界だとしても後始末の基本は変わらず、事実関係を明らかにして、対策を加えた今後の我が国家組織の振舞いについて世界中に向けて約束するしかない【109】

 『我が国の運営に関わる一部の者に、北米ウケを良くして判りやすく見えやすい外交成果を恵んでもらう狙いがありました。その成果を日本国民にかざし、現政権が主張する政策に従順になるよう仕向ける目的があったのです。
 実際に受賞につながる訳なんかないと予想が立ち、証拠を残さない空振りを確信してそのステイタス性で大統領のゴキゲンを取るには、平和賞がお手頃に見えてつい悪い気を起こしてしまいました。
 とにかく我が国としてやってしまった事実は巻き戻せないので、まず国民総勢で栄誉ある平和賞を冒涜したことをお詫びするより他ありません。来たる2020東京五輪、2025関西・大阪万博では、国際的な文化振興を充実させるため尽力いたしますので、どうか寛大に処置いただければ幸いです。
 世界の皆さま、ごめんなさい。誠に申し訳ございませんでした』

…とお詫びまでして、ナンなら全世界に向けて土下座の一発でも決めんだろ?
 いっとき軽々しい土下座が流行って辟易したもんだが、本来こんな局面でやるものだ。

 平和賞に限らず、人さまに諮って思い思いの良心的な思考判断を刈り取り、各自の結論を真剣に集約して精一杯みんなが納得できる結論を出す民主主義運営の企画というのは、全員に礼儀正しく取扱い真面目に対処し切る必要がある。だからこそ、その企画は皆に共有で認められてステイタスとなり、参画チャレンジャーにとっては偉大な目的となるのだと思う。
 自分を擁する組織を大切に思えない個体に『そこにいるだけで嬉しい楽しい未来』は無い。
 そして今、箝口令や無言スルーの忖度で事なかれが通用する箱庭の外側が相手なのだ。

 ふう、次回はさすがにもう少し明るく楽しくなるような未来構想の話にしましょうか。
 毎度のことながら着実第一、議論の場を荒立てず冷徹に行こう、頼むぞ野党たち!
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