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【711】栄光のバイオグラフィDVD編集者 [ビジネス]

 前回からの流れで人間の意識構造について考えたことがあるので、その備忘録から。
 いきなり結論から行こう。

 人間の人格意識層には、DVD作成なんかでよくお目にかかる『ファイナライズ処理』のようなプロセスがあるのではないかと思う。

 パソコン操作で作ったデータをDVDディスクに記録する作業は多くの方が経験していると思う。ひと通りデータをDVDに書き落とした後、その本命データたちに続けて『ハイおしまい、これでこのディスクは1枚完結ね』とする制作情報でシメるのがファイナライズだ。
 よって、後日このディスクに別のデータを追記したいと思っても、コイツはもう書き込みを受け付けてはくれない。
 私は映像DVDも普段パソコンで視聴するので正確なところは知らないが、いわゆるDVD視聴用プレーヤーではファイナライズされたディスク=市販品と同形式でないと再生できないんじゃなかったかな。

 更に結論を突っ走ってみよう。五感入力や過去記憶がまず情報処理のまな板に乗っかると、そこにドカチン連結で理屈も道理もなくストーリー形式を当てはめようとするのが人間の処理操作の定型フローではないかと述べた。ここで見境なくやり散らかしたストーリー構築がその後、現実世界の展開に整合するか否かで『意識』の1ピースに収まるかどうかが決まる【693】
 現実世界に整合しない屑ストーリーなんぞで大事な記憶ビット容量を喰われていては生き残れないので、現実世界に整合しないハズレのストーリーは基本あっという間に意識ステージから滑り落ち解けてなくなるのだ【637】
 現実世界に関する既存の情報量は年齢を重ねるごとに純増するから、この同定検査は年々狭き門になって行き、だから大人になると子供の頃ほど鮮烈な夢の記憶が残る頻度が多くないのだと思う。

 ではこの同定ライブラリーにめでたく採用が決まった情報ピースは、どう区別して管理されるのだろうか。私はここで、ファイナライズ処理がなされて編集ロックが掛かり定着するのではないかと考えた。
 何しろファイナライズされない夢の記憶は、目覚めてそーっとそーっと衝撃を与えず急いで内容を確かめ直そうとしても、目を向けたところからぼろぼろと粉になって虚空に同化していくのである。『記憶』なるものが、磁気テープや感光紙のような濃淡アナログ強度を持つ記録現象と捉えるには、夢の記憶が残るvs残らないの差があまりに極端すぎる。

 時に、自他ともども所謂『思い込み』に陥った時のあの融通の利かなさはどうだ。
 ひとつひとつ丁寧に課題ロジックを分解して、昇温するから封入ガス内圧が上がるでしょ、内圧が上がればダイアフラムが押し出されるでしょ…と確認を進めていって、でもガチガチ持論の段階に到達した途端『でもやっぱりコレはこうだ』と、本人が内的に噛み合っている完成形ツーカー理論に問答無用で飛躍してしまい、そこからテコでも動かなくなる。実験データの解釈しかり、プレゼンテーションの論説シナリオしかり【652】
 面白いのはその時点の結構な確率で、本人も何か様子がおかしいことには勘付いているように見受けることだ。おかしいと自覚があるのに、ファイナライズされちゃったマイ真理には人格意識がまるで無力、なっかなか逆らえない。これを解除してやるのがトレーナーの役目であろう。

 いっぽう『響かない時』にはいかに美しく理屈と現実が噛み合う姿を見ても、人間の意識は馬耳東風だ。
 あれだけ解りやすい実体験ができたのだからと『もう解ってる人』のつもりで接していたら、こっちの思う肝心のところはすっかり忘れられており…というか最初から気にも留められておらず、いとも当然に以前のままの世界観で語り掛けられてしまい愕然としたことも二度や三度ではない。
 これは本人の記憶に蓄えられている同定ライブラリーに、その時点での『理解できる素質』として、十分な雛型ストーリーがストックされているかどうかが勝負だと思う。それが無いので素通しスルーになるのである。
 例えば『×10』の掛け算を習得させるにあたり、『10回おなじ数を足す』と解説し、ひとつ足し算する度に計算結果を見せて10回目を迎えたとしても、そもそも足し算を知らず、足し算で計算結果を得た体験の無い生徒は『×10』という操作の本質を実感で理解できない。一人にした途端、手も足も出なくなるはずだ。

 随分前に『会社感』という名の体感組織観を通して、会社業務の本質を理解して取り組むという姿勢が、天性のものではないかと思うほど解るヤツは解ってるし、解らないヤツはなだめてもすかしても解らないと述べた【16】
 これは雛型ストーリーが備わっているか否かで決まる業務適性の素質の有無を、私が経験則として認識しており、それを伝えようとして綴った文章だ。当時はその要因が何なのかを特定できずにいたんだな。

 だとすれば、『解ってるヤツ』として組織生産性を意識した動きが自然にできる人材は、人生キャリアの早期に、信用し合う仲間同士が腹を割って意思疎通し、心底お陰さま・お互いさまで助け合い組織力を駆使してフロー稼動できた体験の記憶=雛型ストーリーを、内々のどこかに持っているはずである。
 この仮説を職場風土整備のノウハウに応用するならば、『まず仕事で接する相手を無条件に信用する』『相手の言葉のままを事実と認めて受け止めてやる』を形だけでも現実のものとして、組織フロー疑似体験の雛型ストーリーをひとりでも多くの同定ライブラリーに用意してやる、という手が考えられる。
 まずは、みんな気を許して世話し合うことされ合うことが、『成長し進化を楽しめる組織』を実現するための基本要件なのだ。

 そういえば昔ホリエモン氏の講演を聞いた時【264】【673】、『どんな人を信用しますか?』との質問に、彼が『基本的にみんな信用し、善い人だと思ってノーガードで行く。その方が良いと思う』と答えていたのをよく憶えている。お、さすが!

 冒頭に戻って、このファイナライズ処理で意識ピースが確立する一連のハナシは、もちろん個人のみならず組織生命体でもフラクタル適用して成立する。
 明らかにおっかしいのに『それって、そんなもんだ』とされ変わらないモノって何だっけ?
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