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【708】光電満艦飾の次世代キャッシュディスペンサー [ビジネス]

 正月休みの最終日になっている方も多いと思うので、せちがらい話題はやめて夢洲の話を続けておきましょうか。
 IRつまりカジノについては、昨年だか入場料いくつの入場回数制限どんだけみたいな、お子ちゃま遊園地のような法案で決めてしまったことになっている。端的に、こんなあほみたいな遊興施設にするのなら、カジノをやる意味なんぞどこにもない。

 カジノをやる意味、それは『カネ儲け』だ。
 客が一攫千金めあてに賭けたカネを親元が集める。一定の確率で客に大金の払出しは発生するが、もちろん大半は親元の手の内に収まる。みんな納得しているカジノのルールである【490】
 このカネ持ち親元からガンガン納税してもらって国家債務の返済に充てようというのが、和製カジノの第一目的だ。だからなんだが、依存症対策がどうとか余計な世話焼きは自己責任意識の高い海外の客を遠ざけるばかりの悪影響しかないと思われ、現状法案の幼稚な賭博ごっこ遊園地では全く目的に適わない。
 このあたり、昨年は随分と日本国民の声を代表して頑張ってくれた野党たちとは意見が違ってしまって申し訳ないのだが、あれだけしっかり議論できるアタマがあるのだから、そこを見込んで今いったん冷静に考えてみて欲しいのだ。

 確かにラスベガスで賭博に夢中になり過ぎて、金目の持ち合わせを全て換金してスってしまい、帰りの旅費すら危なくなるまでスッテンテンになる客はいるという。ひとりカジノに入り浸って滞在期間中を夜通し熱中し、他を観光した後に合流した仲間たちが、まるで催眠術にかかったかのように正気を失いカジノに執着するその姿に驚いたというエピソードも聞いたことがある。これはこれで経済社会を生きる人間として大失敗をしている訳で、褒められたハナシでないのはその通り。
 だが、例えばこの手痛い経験を貴重な人生のターニング・ポイントとして大成功に繋げる道もあるということを忘れてはならない。そもそもから真面目に生産活動に励む心づもりも無く、目に付いたカネを手に、遊んで暮らす大金を狙って賭け事ばかりやっていた男が、本気で怖い思いをし、同類と泥を舐めるような生活を送りながら、生き残るための日銭の損得を勘定するうち賭け事の真の期待値を実感するとか。

 もちろん直らないのも多いんだろうが、社会としてはそういう連中が犯罪を起こさないよう治安体制を布くところまでである。『社会が賭博の御節介を焼いてくれる』という奇妙な常識が普及してしまうと、『ちゃんとルール守って散財したんだから、税金で面倒見るのが当然だろう』みたいな歪んだ権利意識が必ず発生してくるはずだ。人間、自分から考えを改めない限り、死ぬまで行動規範は変わらない。
 カジノでスッテンテンになったとして、人を殺した訳でもなければ自分が死ぬ訳でもない。隠し事もウソも何ひとつやっていない。つまり命に関わる重大事故でもなければ、他人や社会を欺く犯罪・違法行為の類でもない。
 『人が失敗して学習する権利』を奪うような社会システムは、結局は社会の生産力を落とす方向にしか作用しないはずだ。
 そしてスッテンテンの大失敗が犯罪に直結しにくい立地条件が『一般社会から隔離された温暖な気候』なのである。私はこの根拠をもって、カジノ最優先候補地は夢洲人工島だと考えている。

 今もやっているのか知らないが、ラスベガスには路上のお手軽勝負師がいて、道行く観光客に呼びかけ、その客の年齢を当てるという賭け事をやっていた。日本人は若く見られがちで勝率が高いというウワサも聞いたものだが、当時も今もそれが通用するかどうかは私の知るところではない。
 まあ二十世紀の終わり頃にして、駅前アーケードの天井を全面巨大スクリーンにした映像アトラクションもやっていて、そんな場所で小銭稼ぎのストリート生活から這い上がれる環境があるのなら、転落の人生のまま幕引きに終わるケースばかり心配するよりも、『経済人がゼロから起動できる環境』に思考を向けた方がカジノ社会の現実解に近いのかも知れない。
 職場から不正や非・生産的な主張、さらには不毛な無差別ハラスメント提起など無くすには、まずそこにいて『大概のコトがあっても何とかなるさ!』という精神の安定を普及させるのが一番である。

 少なくとも立上げにあたって、カジノ運営のノウハウを学ぶために既存の海外カジノを誘致する必要はあるんだろうな。
 誰でも思いつくと思うが、賭け事は親元にカネが集まる原理原則を逆手に取って、特定の客とディーラーが談合し、客が『道理として』惨敗した後にディーラーからキックバックを得るという不正が成立する。その他それどころでなく『カネ儲けが目的の場』では想像を絶する不正行為の可能性があるため、徹底した監視システムが勝負の現場に常時睨みを利かせているのだ。
 客に大勝されてしまったディーラーは即刻に降ろされるというし、真剣勝負として賭け事が廻るための管理は非常に厳しいと聞いた。本当かどうか未だに疑わしいのだが、熟練者はルーレットの狙った数字に球を落とせるというし、カードの束はぱっと持って重さと厚みで間違いなく枚数を言い当てるという。
 ラスベガスでギャラリーを決め込み何度か眺めたが、私なんぞにはどお~おしても実感を持って理解できなかった。賭け事にさっぱり興味も御縁も無い私だが、このスキルには興味深々である。

 確かに大金が動き、一攫千金と無一文の人生の分かれ道になったりもするのだが、カジノはだらしない消費を連想させる、堕落の象徴としての頽廃的文化ではない。野党たちには新年早々からまた頑張って欲しいので今すぐでなくて構わないから、冷静かつ慎重にカジノ文化の機能性を考えてみて欲しい。
 何より、この集金力を使わなければ世界に他例を見ないほど壊れた日本国の財務は立て直せないのである。裏返せば、カジノに単細胞で的外れな反対を叫ぶばかりでは、わざと国家財務を破綻させにかかっている自爆テロ非国民政権と同列に見られて、日本社会が味方し切れないと思うぞ。

 そして若者たち、『カジノって凄っげー!』と思ってくれたなら、まずはハードとソフトの両面からその構造と機能を考え、近未来高度エンタメ集金マシンとして発想を拡げてみてはくれまいか。
 いま社会にある悪いイメージを作り出したのは、悪い大人たちの勝手な所業なのだよ♪
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