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【701】のろまな頭脳労働者のイメチェン動機 [ビジネス]

 国会が閉会したが、とりあえず前回の話題の流れを続けるところから。
 ただの気のせいに終わる可能性もまだ残っているのだが、それにしても『まず体調の上下をおのれが感知した後、その結果として稼働力の上下がついてくる』という順番が標準ではないような気がしている。逆だ。
 調子良く動いていてすっかり安心してたら、あるとき突然検算が合わなくなるなどして、ガツンと問答無用の機械的に緊急停止。おやこれはどうしたことだと四苦八苦しつつ自己診断を繰り返す泥沼にはまり、そのうちふと軽い思いつきで手近な作業を試せる気がして再開してみたら、難なくできてしまう。どうもこの順番くさい。
 癌が見つかった直後、病院で日々検査を受けては緊急処置を施されていた姉が、体調や気分の変化を先生方に先回りで見つけてもらっていたことを思い出す【199】
 そもそもこの意外な順番とその時間遅れの大きさに知識があれば、大事になる前に適切な検査を受けられていたのかも知れない【241】

 だとすると、人間が自分の体調を良いとか悪いとか自覚する頃には、既に良いにも悪いにも結構そっち方向の展開が決定的になっているということではないか。
 何故こんな手遅れ検知が標準作動になっているのかというと、例えば一生涯で自然界では病原体なんかに盛んに体内侵入されるのだが、その都度ある程度は一旦やられておかないと、それを受けて十分な規模と強さの自己防御システムが構築できないからだ、とする仮説が成り立つ。アタマでちゃんと『うわ、こいつはヤバいな』と意識できるくらいにまで自分を壊されて、いっぽう人格意識外ではもう攻防戦が始まっていて、自己防御システムが当該敵襲の特性をしっかり見切り対処法を構築すると。
 後に人格意識は『ああヤバかった、あれはコレコレこういう経緯だったから、今後はこんな知見で気を付けよう』みたいな、人格意識層に持つ行動規範としての自己保存ルールに体験を反映し、その記憶ストックを蓄積して生存確率を上げる。
 この理屈において、最少回数で必要十分な後天免疫力を備えた個体が生き残ってDNAを紡いだのではないだろうか。時間遅れ無く不調に気付き火消しが早すぎると、生物は免疫力を十分鍛えられないのだ。

 『意識』なんてものは、まな板に乗った知覚情報のドカチン連結に機械的に当てつけられるものであり、体組織の細胞単位、細胞で構成される器官単位、器官が組み合わさった消化器系・循環器系などの系単位…と複数構成の階層構造になっていると考えてはどうだろう?…と述べた【695】
 人間一人として思考し、コミュニケーションを介して社会組織を織りなす『人格意識』は、実は末端側に拡がる下位階層=生命活動の前線階層領域の『末節意識』たちに先行されつつそれを知らず、従って宿命的にしょっちゅう不意打ちを喰らいながらエッチラオッチラ勉強するトロい役回りだったりするのかも知れない。不意を突かれ傷つきながら地道に学習し、一段一段パワーアップを積み重ねて生き残るために。

 さて、今回『も』で申し訳ないが、これを日本国組織へのフラクタル適用で考察しておこう。
 移民法案も軽減税率も『社会の仕組みとして不成立』だと、現場=末節意識の訴えが堰を切ったように溢れ出してきているのは御存知の通り。
 そもそも健常時でさえ現状認知にトロい役回りの人格意識だが、これが組織認知症によりトロいで済まなくなって、致命的レベルで他の末節階層と通信・連携できなくなるのだと思われる。協調で成り立つ生命維持が破綻し、このままだと日本国組織は間もなく寿命を迎える。

 さすがにここで国難アイテムに逐一言及するとスペース的に持たないので、ちょいと間をすっ飛ばして今回の結論に行こう。
 『もう決定したんだから変えられません』
 これはウソであり、決めたことは変えられる。

 過去に再三この過ちを指摘して来たが、なかなかどうして日本社会には『やっぱり変わらない』の負の刷り込みが根強く、これが欧米に比べて国内世論の線が細いと映る理由のひとつであるように思う。
 暴力や破壊行為に訴えた非・文明式発言力には転じないよう気を付けながら、場を荒らさない正攻法に徹して根気強く戦い続けるマインドは、いま日本社会の世論に不足しており是非とも強化したいアイテムだ。

 ついこないだ官民ファンドがひとつ『休止』したろう。
 え?休止すんの?民間から招聘した役員9人全員が一斉に辞めちゃった『だけ』だろ?

 ダメノミクスとしては、経済最優先とやらのスローガンを隠れ蓑に民間企業への公的資本注入を拡大し、市場発言力を牛耳る流れは重要な仕込みだったはずなんだが【600】、やけに諦めがいいじゃんか。どうせダメノミクスも残り僅かだし、三流シナリオ大失敗の御破算はいっそ丸々の焼け野原にしてのオシマイを狙ってるってことか?
 まあこんなものやめとくのが断然よさそうなので、正しい処置ではあるんだけどさ。見聞きした受け売りで申し訳ないが、資本金なんと2兆円のうち95%が公費だというから、端的に『2兆円調達規模の来年度公共事業が、これこの通りストップできる実証事例だ』と国民全員で確認しておこうか。

 さて個人的には国会の牛歩戦術みたいなのは大嫌いなんだが、今般に限っては『判りやすく見えやすく、とにかく手を尽くす』という意味で、決して毛嫌いの否定だけに終わらせるものでもないと思った。むしろやってる本人は大変だったはずだし、ここはイチ国民として野党議員たちに『どうもありがとう、お疲れさまでした』と申し上げておきたい。
 法案とはとても呼べない欠陥作文の落書きを『議決の儀式』に次々かけるなど、過渡期ならではのルール違反の質の凶悪化も酷いが、それでも数年前やそれ以前に比べれば、随分と我々国民の関心も高く身近に聞ける議論が増えていると思う。

 その反面、テレビの国会中継がえらく減った気がするのは私だけだろうか?
 主権在民で国会が動く様子をモニターする社会機能、勝手に削減されては困るんだがね。
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