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【693】夢と現実の進化過程通学路 [ビジネス]

 せっかく話題に出しちゃった流れで、久し振りのシンギュラリティ系トピックから。
  『空が青いから、地下鉄で鍾乳洞へ行こう』
 見れば見るほどハチャメチャで非論理的な文章であり、もちろん私は覚醒中こんな発言はしないし、しようとも思わない。

 そもそもその理由が無いためであり、だいたいから思い付けない。私の人格外の作動だ。
 でも眠っている夢の中では、物事の自然な繋がりを語るかのような感覚でやってしまっていて、目覚めてはっきりとは思い出せないのだが、あたかもその流れで一連の体験をしてきたかのような印象なのだ。
 夢の中で『あれ?オレ一体ナニ言ってんだ?』と違和感が引掛って、慌てて自分の発言内容を吟味することも無い。要は、『起きて生活していて過ごす出来事と何ら変わらない』体感なのである。
 これはつまり、言葉を放ちながら見上げた青空の景色、地下鉄の車内を眺めながら聞いた走行音や、鍾乳石を見上げながら感じた冷気などなど、断片的な五感記憶セットの情報ファイルが何か就寝中の整理整頓作業で偶然に選び出され、それらの情報ファイル群に、理屈抜きに合わせに行って成立するという順番で、私の意志・判断が組み上げられているということではあるまいか。

 以前クラゲの話から始まって、人体の各器官の機械的・反射的な生体反応が先にあって、案外それが人格由来の意識の決定として感じられているだけなのではないか【608】、人間はその途中経過を忘れ去って自力ゼロ起点で思考していると勘違いしているだけではないかと考えたことがあった【637】
 いま現実に自分が置かれたリアル環境を知覚して得た入力シグナルと同じように、記憶に残っている体験情報パッケージたちも、いくつか偶然に並んだら、我々生物は知らず知らずそれを素朴なドカチン連結で単純につなげて、自分の意識活動=ストーリー思考だと定義しにかかっている可能性があるのではないだろうか。
 こうして始終の夜な夜な偶発的に転がり出てくるストーリー思考もどきの原材料が、たまたま覚醒中の現実世界でも辻褄が合うものだった場合、それを現実に照らして検証する情報処理がめでたく成立し、本格的に明確な意識活動として確定される。そんな順番ではないかという気がする。

 例えば赤ん坊なんか、食い物かどうかも確かめず片っ端から口に入れるから、ボタン電池なんかを飲み込む事故が起きたりする訳だが、いくらなんでも生物としてあのボタン電池を見て触って食い物と認識するはずがないのに何故だろうと、ちょっと不思議だった。
 巣箱から連れ出したばかりのセキセイのヒナが、何も考えずに自分のフンを食おうとするのも似たような話なのかも知れない。何羽も並べて尻尾の先にマジックペンで識別色を塗って見分けながら、一羽ずつちゃんと食い物を喰わせて教育したものである。
 また、夢の中ではとんでもなくいろんな出来事に遭遇するが、雑草や錆びクギを美味いと味わって食ったり、メッタ打ちの八つ裂きにされて心地よいと思ったことのある人は、ただの一人もいないはずだ。学習を加算していく、感覚入力に対する自己保存反射は、生きとし生けるモノ共通の既製品プログラムだからである。

 生物には漠然とした食欲なんかだけがまずあって、五感の入力に対する反応は自己保存の反射動作くらいのレベルでしか備わっていないのが、箱から出したばかりのコンピューター=生まれつきの情報処理生命体の実態なのではなかろうか。
 『食い物を認識して食う』などという高度な情報処理は、トライアル作動と実体験記憶の同定検証を何度も経て、『実作動が叶う実用プログラム』としてわざわざ構築されるのだ。
 これは自分が置かれた現実環境に短期間で適応し、自己の生存確率を上げる『生命進化の原理特性』としての情報処理機能だと考えられないだろうか。

 ならば、それが最終完成形としてのゴールではないかも知れないにせよ、少なくとも中間マイルストーンぐらいの節目到達点として、『記憶機能体系がディープラーニングを繰り返すうち、客観的に人格意識が顕れて来る』という仮説が立つと思う。
 いっぽう『○○されたら嬉しいと判定し、××と反応する』のような、入力検知→感情の自律定義→出力決定の処理プロセス単位を膨大に蓄積して人格像を構築しようとする手法は、最終的には『生きた人格意識と何か違う』で行き詰まるのではないかという気がする【555】

 さて、以上の考察内容を俯瞰してみると…だ。
 我々人間を始め生物は『まず五感を通して得た現実の情報パッケージを記憶する』あたりが、進化し続ける生命活動の原点ということになる。そして蓄積された記憶を順不同でシャッフル再生し、片っ端からそれを自分の意識活動に定義しようとする中、現実と照合可能な組み合わせだけが抽出され残っていくワケだ。
 これを支えるのは、健全で元気な感覚器官による現実リアル感知の正確な情報入力、そして電光石火で構築ストーリーを大量生産し検証する高速情報処理プロセスである。

 移民政策も軽減税率も、勝手な法案文面だけが事務処理として議論の題材になっているだけであり、『アレがいくつでこうなって、それをコレがここまで受け止めて…』という具体的な現実感イメージが持てている日本人は誰一人いまい。
 端的に、役人組織が税金資本の国家財務から、自分らが欲しいぶんだけ手元に引き抜いて懐に入れる、この部分だけが具体的にイメージされており、それ以外は仕組みの上のハナシとして思いついて、気になったところまで文面整合したに過ぎないためだ。
 これでは1億2千万巨大生物・日本国組織にとって、意識思考の前段階として情報パッケージが処理テーブルに乗りもしない状態であり、万が一これを議会で強引に決めたふりしたところで、早い話がただ破滅的に混乱するだけで生体反応は何も起こらない。
 この科学的根拠をもって、移民政策と軽減税率のいずれもここで検討を打ち切り、今のうちに廃案・中止を決心するのが適切と結論付ける。

 犯罪者与党勢力を締め上げる質問とその後に叩き潰す議論、いろいろと大変だろうが手を緩めずお願いしたい。改憲なんぞ今まったく論外の話題であり、取り付くシマ無しのシャットアウト一蹴で全然構わない。
 旧態依然の常識はそろそろ覆る動きが出始めて不自然ではない。頼むぞ野党たち!
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