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【688】哀れなお疲れピエロの出来高清算 [ビジネス]

 ここまでひと通り国という組織の運営について復習した上で、『情報』なる文明アイテムについて考えてみよう。『情報』とは、ぶっちゃけたハナシ『人間がナニガシかの解釈を見出すに値するモノ』といったところではなかろうか。
 『情報』も、それによって見出される『解釈』も、事実である必要もなければ、原理・道理に則っている必要もない。
 だから人間の意識の中だけで、他のあらゆる外力を受けず『独り歩き』するのだ。

 立法機関で議決する法律には文章情報として何でも書ける。
 日本語として意味さえ通れば、実に何でも、である。

 いっぽう社会は現実としての制約を受けて動く。
 自然の摂理にのみ従い、リアル世界の現象としてモノが動き、人間がそれと認識して率直に反応し操作する限りは何でも起こるが、そもそもから自然の摂理に反しているようだと、人間が何をどう思い込んで細工しようが現実の出来事にはならない。当たり前である。

 結論から行こう。
 いま現実の制約を無視して、勝手な思い込みで作文した法案を作ってしまっているのだ。
 立法機関には『国家組織の実作動として現実になる範囲のコトを立法する』という人類文明の限界としての自律要求値があるのだが、それを割り込んでしまっている。
 これが近年の国政迷走の根源的な原因であり、一刻も早く、一部の非国民どもが勝手な儀式により決めてしまったことになっているぶんまで遡って、現実の制約を無視した立法をキャンセルする必要性に腹を括らねばならない。

 例えば『飲食料品には消費税を課さない』という文章ならば、日本社会の隈なくどこでも、日本国民の誰と誰の間でも妥当な解釈が一義的に決まってお支払い手続きが完了する。これが法律の原則だ。
 ところが『贅沢品にはどうこう』『持ち帰り品にはどうこう』という文章ならば、贅沢の定義や持ち帰り先の特定が無限通りの解釈を発生させお支払い手続きが一義的に決まらない。無限の解釈が発生するということは、永久に日本社会において支払手続きが定義できず、ただただ答の無い議論が続くことを意味する。
 こんな文章情報は法律にならないのだ。

 それをまた言葉っツラだけ『現実にやる』と口走ってしまっているので、政策総動員も何も、物事の模索にさえなっていないのが現状である。口先だけどう動かそうが、この世の全員が『こんなもの現実にならない』と確信しているから、放たれたコトバが宙に消えていく以外の展開は必然的にあり得ない。そのまま時間だけが経過していく。

 世襲のガキの独裁状態に陥っていて、誰も意見できなくなってるだと?あほ抜かせ。
 あんな腹こわした老犬みたいな…というとワンコに失礼か、あんなしょぼくれた使い捨てピエロの成れの果てに縮み上がる無能バカがどこにいる?
 こんなもの一見して見透かせる嘘っぱちだが、仮に世襲のガキが、まあ人並までは要求しないよ、せめて足手纏いで邪険にされる雑魚以上の立場ぐらいでいたとしたら、国民相手にあれだけ得意気に吹聴したダメノミクスが成功した風を装った方が、今後まで含めて絶対に得策であることはすぐ判る。
 あとがあると思える限りは、捨て駒で布陣を組んで自爆テロを作戦に選ぶこともない。

 強権発動で消費税率5%引き下げを宣言した方が、政権としては圧倒的に有利なはずなのだ。世論の支持率は間違いなく跳ね上がるし、恐らく税収は増える。
 そうそう『5%から8%にして、消費税収は増えた』と吹いて回るようなガセ情報を時々耳にするが、ウソしかつかない現政権と、そのパシリ吹聴しか流通させない公共言論の、どこから何をドブさらいしてそんな寝言を口走るのか疑問である。
 あっきらかに8%で市場消費が全方位で冷え込んで、そのまんま冷え込みっ放しじゃん。みんな普段から見て聞いて感じて、知ってるでしょうに。
 ともあれ消費税率を5%にすれば、表示価格をひとケタ下げて半分にすりゃ税額が一瞬で計算できるワケだろ?その時短ぶんだけで経済効果は期待できるし、支払額が瞬時に正確に算出できるので購入GO判断も出やすくなる。日本経済は活性化すると保証してやろうじゃないか。

 『バーイ、マーイ、ダメノミクス!』なんてニタニタしながら拳にぎって悦に入ってた時期がいつだったかあったろう。何もかも現行そのままで、消費税率を5%にするだけで、あれが再び手に入る可能性は高い。カード決済の税率再変更も、商品券という印刷ガラ違いの現金バラマキも不要だ。
 かなりの勝率が期待できて当座の手間とコストはとりあえずゼロ、ゆえにその後の展開は少々迷走しても、賛同こそあれ一方的な非難はまずあり得ない。
 何か多少でもやり残したこと・やり直したいことがあるのなら、そりゃ一応の名目上だけでもソーリ大臣のタイトルがついてるうちに、勇み足承知の独断で『消費税率5%』を抜き打ちで宣言するのが政治家の本能というものだろう。本来なら、政治家生命を賭けた人生の正念場であり、乗るか反るか起死回生の大博打に打って出て然るべき局面ではないのか。

 だが、この単純な判断が下せないのだ。
 ホント、成人社会人としての立志も強欲政治家としての野心もなく、オツムの足りないガキが『じいじのカタキ討ち』をおもちゃ代わりの遊び半分に欲しがったとしか見えない。
 たまたま爺さんが無念に思い残した昔話があっただけで、もともと向いてもないのにサラブレッドとそそのかされてその気になり、上げ膳据え膳で祭り上げられたは良かったが、実は『役人老後ウハウハ高給閑職計画』実行役の一番ピエロとして便利されていたと。

 侮辱と気晴らしを目的に罵倒するつもりはなく、人間しっかり正々堂々おのれのやるべきことを決断しながら人生の時間を重ねる心掛けが無いと、こんな薄汚れた不条理な損得売買の結果到達点しか残らないという教訓を確かめておきたい。
  『現実にならない文章を、1億2千万人相手に迷惑がられながら言い放つ愚か者』
 この惨めな選択肢に自分を縛り付けているモノが何なのか理解できれば、試すべき道ははっきり判っているはずなのだが。
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