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【682】温厚なド近眼の老化診断書 [ビジネス]

 懐かしの高度経済成長期の頃、小学校の先生が授業中の雑談で『ノンポリ』という言葉について話してくださったのを憶えている。
 そのちょっと前が『日本社会のあるべき姿』を命懸けで争った1960年代の過激な学生運動の時代だったからか、一気にまとまった数の『政治無関心層』が拡がったのは一大社会現象として共通認識されたようで、『自分たちの日本社会なのに無関心で良いのか?』という疑問を籠めたこのコトバが世間一般マジに流通していた。

 早々のちょっと横道だが、大卒がまだ少数派という環境において更に頂点レベルとされる『イイ大学』で、敵対する思想グループのメンバー相互が鉄パイプで殺害するのされるのの事件さえあった時代のことだ。アナタは普通にガッコに行って、数学の授業から英語の授業に講室を移動する最中、いきなり日本国の反乱分子として廊下で背後から殴打され短い一生を終えるという結末が想像できるだろうか。
 その勢いで優秀な思考好き・議論好きの学生たちが『将来の日本社会はこうあるべき』という信念をぶつけ合っていたのである。とんでもない攻撃的な世相ではあるが、日本国があり余る若き生命力に手こずりながら成長していた姿にも見える。

 だがそのうち学生運動も下火になり、社会人領域では労使が争うストライキも消滅し【12】、生産年齢の現役主力層では『政治なんか他人任せ』が当たり前となった。
 終身雇用に身を預けて職場と家庭を往復するだけが一般的な生活スタイルとなり、政治に興味のある人種なんて『ちょっとかつての学生運動的にアブナイ思考回路を持っている』くさい見方をされたりもして、そういう手合いと険悪な言い争いになったり、よもや敵対人物として意識されたりすると良いコトひとつもないので、政治なんてのはモノ好きでわざわざ出て行ってやれる連中に任せっぱなしにしとくが賢いとする風潮が普及していったのかも知れない。私はまだコドモだったのでわかりません…

 …というのが本当はおかしくて、当時のうちから『ティーン世代にもなって政治に無関心なのは、先進国で日本ぐらいのもの。みんな自分が暮らす社会の政治は第一級の関心事だ』という話はよく聞いた。高度経済成長期にあって、手放しで好調な日本経済活動を信じていられた時代ならではのことだろう【644】
 実際、既に欧州では若年層失業率がふたケタという事態もしばしば報じられ、伝統と格調のイメージがある欧州先進国なんだけど、ジブンを強烈に主張する個人生活優先の家庭ファースト時短社会ゆえ、日本みたく『国をあげて馬車ウマ稼動で経済を正常化するぞ!』という訳にもいかずにタイヘンなのだろうなあと、いい加減な推測だけして薄らボンヤリ聞き流していたものである。
 因みに『日本人は世界一おとなしい』ともよく言われており、『こんな愚政、もし外国だったら誰も従わないし、全国でデモが散発して政府を屈服させるはずなのに』とも言われたものだ。

 日本人はDNAレベルから『組織の民』だと述べたが【283】、生まれ持っての崇高な志で仲間との幸福な共存共栄を目指す特性が備わっているなんて考えるのは、買い被り過ぎなのかも知れない。
 この日本列島に長らく育まれて、自分個人の都合を強く意識し主張する傾向のDNAが淘汰され、理屈抜きに何となく周囲に流され自分個人の自由度や幸福度が切迫して直感できない傾向のDNAが生存率高く生き残った可能性を感じてしまう【404】
 ここで再確認すべきは、自分個人の自由度や幸福度が鋭く的確に『直感』できなくとも、いざ現実に直面すれば、人間それなりに重たく『実感』はできてしまうことである。将来の現実を予測し自分の意志・行動決定に跳ね返すあたって、自分の自然で素直な感覚を拠り所にしての自己確信度は鈍いが、その時その場をリアルに迎えての徒労感・嫌悪感や諦め・投げ出しなど、ネガティブ心境は相場通りバッチリ味わって気力が萎えるのだ。

 これが世界に他例の無い『失われたウン十年』『慢性デフレ』に効いているのだと思う。
 まず日本社会が高齢化により組織認知症を発症、本来なら組織と反目し、組織から心理的・物理的に距離を置いていき人知れず寿命を迎えるような老衰個体が、社会の中に居残ったまま一定数を超えた。これにより国家運営を老衰志向で腐らせようとする集団自殺モードが一部ローカルで起動する。

 ここで日本人の組織の民DNAが裏目に出てしまい、国家債務が再起不能に積み上がろうが、議会制民主主義を蹂躙した儀式制独裁主義が横行しようが、絶望の将来予測絵図と真剣に向き合わずお互い指摘を押し付け合って未処置で放ってしまったのだ。
 そのうち集団自殺モードが野放図にエスカレートし、組織離脱の老衰特性を共通の軸に数が集まって新組織が形成されてしまい、健全なる生命体として日本国組織を維持するための法律に抵触するまでに到ったのが、今般の『国家運営機能を跨ぐ犯罪者政権の組織集団』である。
 コトの良い悪いとは無関係に、組織が形成されるところ組織力が発生する。集団自殺モードは組織性を帯びますます手の付けられない悪質な組織文化に拡大深化しながらも、なお一般国民の組織の民DNAが『組織の決め事をテキトーに看過しては、いざ不快な現実を迎えて活力と希望を失い続ける』という泥沼から抜け出せず、負のスパイラルを積み重ねていった。

 改めて現状を見直してみよう。
 既にやってしまって日本社会全員の記憶から消せない事実として、世襲のガキが改憲目当ての裏工作で不正を摘発され、コイツが改憲なんぞあり得ない犯罪容疑者のイメージまで出来上がっている。
 だからこそ職位の履歴それだけで冥土の土産、将来には何の希望も持っていない、この捨て駒ポンコツ野球チームが指名され結成された。叶わぬ悲願を背負ったまま力尽きる役割で組閣するとこうなるワケだ。

 これは組織認知症患者が好き放題を繰り返すうち、いよいよ組織本体の自然な生命維持本能に突き当たったと見て良いのだろうか。癌は大きくなり過ぎると患者の生命と共生できなくなる、それと同じだと。
 私としては、日本人が組織の民だという事実は、何としても仲良く生産性高く誇らしい優位性にしておきたい。ここまで解説して、今回はお開きとしておこう。
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