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【648】従順な整列の御駄賃 [ビジネス]

 1945年(昭和20年)、日本国の無条件降伏により大東亜戦争は終焉を迎えた訳だが、何しろ産業的に目ぼしい都市部は米軍の本土空襲により壊滅的に焼き払われていたため、経済生活の何もかもが焼け野原からのゼロスタートとなった。
 『戦後の復興期、日本の官僚たちは国家発展に尽くした英雄だった』みたいな歴史ドキュメンタリーを時々見かけるが、完膚なきまでに叩きのめされた祖国を立て直す過程は、そりゃタイヘン極まる寝るヒマもない大仕事ながら、面白くてたまらなかったに違いない。
 『どうすれば日本国が凄くなるか』の目的意識でやる気と能力が揃えば、基本は何やってもやったぶんだけ青天井で成果が積み上がっていく。今は衣食住にも困る廃墟の地だが、工場を建ててモノを作り、インフラを整備して便利な社会にしよう。明日の日本社会のためにはどんな仕組みが相応しいのか…

 昭和40年代、まだ自国の工業力に日本人が自覚するイメージは、『欧米に劣る、追いつけ追い越せ』という位置付けであり、『舶来モノ』というと上等の代名詞でもあった。
 母の記憶によれば、この時代サラリーマンの収入は毎年1割増しに伸びており、職業安定所=今でいうハローワークでは、どしどし転職相談を持ち込んで欲しい、いくらでも待遇の手厚いクチを紹介するからと、実に調子が良かったそうだ。
 ただ同時に、いま思い出せば『どこそこの会社が潰れた』という話も、子供の目や耳に触れるところを普通に飛び交っていたものである。『倒産して夜逃げ』なんてのは、子供向けのテレビ番組や漫画でも定番ネタであった。やはり高度経済成長期の国家組織という生物は、すんなり平和な足し算だけで成長していたのではなかったのだ【620】
 何にしても『急成長』なる怒涛の変化の波を、みんな思い思いに泳ぎ渡っていた。

 いっぽう庶民の日常生活に直面する職層の公務は、こういった輝かしい経済成長の背景となりながら整備が進み完成度が高まり、程なく定型業務の一律消化でこなされるようになったと思われる。
 その瞬間から宿命的に、前回解説したキャリアコース椅子取りゲームの世界観が発生してくるはずだが、恐らくは実直の生真面目なる持ち味を地味に決め込んで、定時上がりの生活で家庭や趣味の時間を大切にする人種が目立っていた当時の空気も考えると【476】、現代視点で想像するほど、少なくとも表面的にはギスギスせず皆ひと通り人畜無害に収まっていたのかも知れない。この最初のうちだけは。
 だが宿命的に軋轢を蓄積する仕組みゆえ、時の経過と共に就労意識の歪みは顕れる。

 その昔ニュースといえばスーツ姿に7:3分けの男性局アナが数分~十数分、淡々と各トピックを串団子式に読み上げてオシマイであった。これを『ニュースステーション』が大変革した訳だが【73】【149】、これにより『公務員給与の非常識な手当て』なんかの指摘が世に周知される機会を得たように思う。
 ニュース扱いにするような事件ではないし、だからって非ニュースのドキュメンタリー番組を組む題材にもならない。だがカジュアル時事番組の1コーナーなら格好のテーマになると。
 まあとにかく民間企業なら思いつくことさえ難しい、理由にならない理由をでっち上げて星の数ほど特別手当が付くのだ。私と同年代の読者さんなら、あーあったあった…とすぐ思い出せるだろう。

 もちろんレスオプションの基本給を公表して薄給の世間体を装うという目的はあったはずだが、財務処理の面倒は増えるし、実はそれだけではこの手の『お手盛りシステム』は定着しないのが普通である。

 そう、『軋轢の職場風土』がその片鱗を覗かせているのだと読もう。
 怨念執念うずまくキャリア枠争奪戦の世界では、その怨念執念をなだめてやらないと背徳や不正により荒れ果てて組織活動が崩壊する。従って、割を食った側の連中にナニガシかのお手盛りをしてなだめてやるしかない。
 一番てっとり早い手段がゲンキンなハナシだがやっぱりカネであり、要は険悪な不満が溜まりやすい職場では、合法的に小銭をくすねてほくそ笑むフラストレーションの捌け口が用意されることが少なくない。
 だからだが、仮にアナタがここの職場改善請負人の命を受けたとして、手当ての名目をひとつひとつ取り上げて逐一その妥当性・正当性を検証する作業に意味は無い。トクしたいしどうせ税金資本だから構わないよねと、遊び半分の幼稚な動機で小遣い稼ぎの仕組みを作ったのではなく、そんなことでもしないと就労意識の衛生管理が維持できないと見るのがアタリである。

 事業の創成期は苦労もあるが、試行錯誤を経て次々と物事が進化するエキサイティングな時期だ。
 物事うまく行くからすいすいラクチンの思い通りを謳歌して支配欲が満たされるのではなく、うまく行かせるため何度も現実を組み伏せて壁をぶち破るから達成感が満たされるのである。その経過の体感記憶は、おのれのパワーアップを裏付ける自信となり、相応の組織生命力を備えた強く優秀な人格を支える。

 さてそのうち創成期も落ち着いてきて、諸事が徐々に軌道に乗り定型業域が確立されてくるのだが、これはパッと見で社会組織の何かが完成に達したように映る反面、この『定型』が生物としての人間の変動・バラツキと、深いところで整合しないのだ。完成というより手強い課題フェーズへの移行期である。
 業務の定型化についてはここでも何度か取り扱ったが【34】、常に定型化を目標値に置くのは思考整理のワザのひとつと割り切り、実際は社会の変遷に応じていつも鼻先にぶら下がった定型化ニンジンを追いかけ続けているぐらいの作動状態が、現実として手にするべき正解の姿なのかも知れない。
 『定型業務』なる人工文明の効率的作動形態は、組織生命体にとって自然起源の自由な変化を妨げる足枷ともなるジレンマを忘れずにおきたい。

 ところで、まだ概念モデルの形に整理できるところまで行っていないので書かないのだが、2ステージ睡眠【643】の時期がかっちり一週間続いた後、今度はパターンをすっかり失い毎晩のように違う眠り方で過ごしている。ふむ、改善を目指す組織は、積極的に変化を繰り返すものなんだろうな。

 高度経済成長にあぐらをかいて慢心し、公務定型化の副作用を重篤化させてなお無関心で放置した結果、日本国の運営業務層は、組織生命力に基づく就労意識が腐り切って汚職と犯罪の温床になった。
 そこへ高齢化ニッポンの組織認知症が追い討ちをかけ、国家組織の生命維持を死守する一線を割り込んできて、とうとう日本国組織の生存本能を壊し始めたのである。

 IR法案がまともに議論できないのは非常に残念だが、とにかく認知症で気が狂ったこの犯罪者政権を止めるのが最優先の急務だろう。
 国民の意向を代表して、連日よく頑張ってくれていると思う。引き続き頼む、野党たち!
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