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【647】不幸な人生ゲームの優勝賞金額 [ビジネス]

 さて、はたと考えてみよう。官僚って素直に考えれば、ただのエリートだよな。
 アタマ良くて、仕事できて、給料高くて、どっかで名刺出せば『うわあ、凄いお方ですねえ』なんて驚かれ、よもや間違いがあっちゃいかんなんて、あれこれと丁寧な御対応もいただけちゃったりするワケだ。

 元・官僚みたいな肩書だけぶら下げたのが『いや、超エリートですよ』『物凄く優秀な人たちです』なんて物知り顔で言うんだけど、『どこがだよ?』の一言しか返す言葉が無いのは私だけではなかろう。

 例えば『最強官庁』『官庁の中の官庁』って何なんだよ?格闘ゲームじゃあるまいし。
 いや、製造業の民間会社でも『購買が首をタテに振らない限り、結局はカネが付いて来ずブツが動かない』みたいな大蔵部署=関所の感覚は確かにあるけど。
 だが購買がエラいかというと無論そんな道理はなく、だって購買が首をタテに振ったところで、今度は開発が技術力を現実に出力できなければ新製品は開発され得ないし、さらに新製品の図面と試作品だけあっても、生産部門がそれなりの品質で製品を量産してくれなければ売るモノができて来ない。

 そう、結局はみんないてくれないと困るのだ。みんなどこかで解っている。
 もっとも泣いても笑ってもカネは確実に出ていくもんだし、そこへ来てプロジェクト実績を紐解いてみると、事前の読みが甘くて投資効果の刈り取りが不十分でした…なんて失敗はモロに経営に響くから、カネのGO/NO GO判定において財務関連部署が『うるさ型』『満額拒否屋』みたいなイメージを帯びてくるのは必然である。
 でもやっぱりエラい訳ではないし、当人らもふんぞり返ったりしないものだ。

 私に官僚の職歴はないし、突込んだ内情を聞いたこともない。国会中継その他で映像や音声を通してのみで理解しながら、完全に憶測だけでモノを言うと先に断っておこう。その上で解説する。
 恐らく日本に限らずだが、組織生命力を健全に維持するという視点で、官僚の世界観は本来かなりそれを阻害する本質的要因を抱えていると思われるのだ。

 まず公務員の業務が定型化しがちなのは直感的に判ると思う。
 住民や事物の維持管理に始まり、フツーなら漠然と生活の背景となるような『今そこにある世の中』の諸事を、改めて目的意識を持ってクローズアップし管理運用する仕事だからだ。
 あそこにあれがあって、どこそこには誰が居て、この道は何人ぐらい通って…

 原則的には、定型業務ポストがずらりと並んでいて、そこに人員を充てはめていく形になるはずである。つまり毎年、似たような適性の同じ人数を採用して前例通り配置するワケだ。いっぽう毎年一定数が定年を迎えてそれ相応の職務ポストを空けるのだから、少々の調整は必要にしても、出て行ったぶんぴったり埋まってめでたしめでたし。
 現場作業にしても新規採用にしても、業務標準書は特段の理由もないのにわざわざ変えるまでもなく、コトの流れとして全てが前年踏襲となる。解るね?

 実はこうなると、キャリア=職歴人生ゲームの組織システムも定型化するのだ。
 主任、係長、課長、部長…と組織表の階層を上がる順に職位ポストの数は絞られていくが、定型業務を定型組織で毎年こなし続けるからには、それらのポスト数はどれも永遠に不変だ。つまり毎年一定数いる同期の中で、何人が何年目に何段階ランクアップするか、先に用意された出世~足踏みのキャリアルート選択肢が、何通りか決まった人数分ずつ待っていることになる。
 同期全員が横一線、『どのルートに誰が勝ち収まるか』をその年のゴールに、相対評価人事の行方を目の色変えて追いかける人生になるのだ。

 例えば、あなたが優秀な学歴を経て優秀な成績で採用試験を通過した新人だったとする。
 ところが偶然、その年に限って空前絶後の『人材アタリ年』だった。用意されていたエリート出世コースが200人中10人枠あったが、あなたは惜しくも11人目…
 この瞬間あなたはその後一生の在職期間中、ずっと1ランクぶん双六の一手ビハインドをトップ10人に対して負うことになる。何故なら、1年経過、2年経過、3年経過…とその後に出遭う年次昇格フェーズの出世枠数も、全て定型であなたの同期全員を、毎年変わらず待っているからだ。最初に遅れた1ランクを、勝手な飛び級でリカバリーさせてくれるような特待ルートは基本どこにもない。

 翌年、あなたは1年先輩として新人を迎えることになるが、その年はまあハズレとは言わないまでも月並な人材畑だったとしよう。ここで、あなた自身にはトップ10どころかトップ3の別格英才枠に収まった連中でさえ、どう寛大に努めようが自分自身に対して見劣りしてしまう。
 それでもそいつらは、もうスタートラインがあなたより一手ぶん進んでおり、その後に職場で用意される可能性もそれに応じて大きいものとなる。1年下の凡才なのに、だ。
 まあこんなワケで、この運命の分かれ目の影響力は一生ゴトであり、職場の普遍的ルールが布く定番枠のキャリアコースに他薦で収まる限りは、絶対に追いつけない。

 これが凄まじい怨念のような軋轢の発生地盤になることにはすぐ気付けるだろう。
 何でアイツが俺より上なんだ、オマエは俺より下の支配下のはずなのに、ヤツはどんな職位でいくらもらってる、そんな自分はそれでも同期の中で良い方悪い方…

 つまり、世の流れのバックグラウンド事象ケアを司る『公務』なるものは定型化志向にあり、そこで頂点の椅子取りゲームを勝ち抜く官僚の世界ともなると、職場が設定する既存キャリア枠を雲上不動の前提にして、如何にそこへの切符を恵んでもらえそうかという『他人目線基準の自己評価』で人生観が塗り潰されるのではないだろうか。
 過半数が、良いも悪いも、望むも望まないもなく、それに身を委ねて生きていく集団の定番型人格モデルに同化していくことになりそうな気がする。

 『強みがあるとされる人』にそそのかされ、特権意識をおだてられ、昇格や報酬への執着心を利用されやすい人種なんだろうな、と思ったりするワケです。
 若者たち、これって人間として優秀だと思うかね?何より、こんな人間になりたいかね?
 『欲しいモノ』『やりたいコト』は、自分自身が真直ぐそう感じるから人生の目標として輝く。

 判っていたことだが、この様子じゃ最強官庁とやらは懲りておらず、まだまだ違法な隠蔽と捏造を繰り返し続けている。今や部外者の立場でしゃべるタヌキ親父【626】の話は、ホントなんだろな。
 他も含めて、しつこいしぶといでは済まない戦いだが、根負けせず頼むぞ、野党たち!
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