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【635】球体式戦略思考術<11> [ビジネス]

 1年前の今日、さすがに今頃はヤク離脱も完了していると思い込んでいたものだ。
 この忌々しい現実どうしてくれよう…って簡単な話で、素直に受け入れて、思いつく限りの善処を着々とやっていくしかない。ホント現実ってのは何の情け容赦もしてくれないものである。

 前回、文字情報の話題を扱った流れを延長するなら、私は最近『人』という文字の図形イメージを抱きながら暮らしている。第一画の左払いが、頭の中心から左耳の奥を通って肩から左脇の背中まで抜けるラインに相当する感じだ。この組み合わせがひとつの系を成していて、この左払いに今の離脱過程の中心がある。いっぽう第二画の右払いは背中の中心から分岐した別系統、これが右腕方面に伸びていることになる。
 両手でうなじを覆った時に人差指が出会う位置、ここで脊椎の中心からむくみが湧き上がっては、左払いの上と左へ分散して外界に廃棄されていく流れがあると思う。この感覚が解剖学的にもアタリだったとすると、人体の体幹+左腕に対して、独立性の高い右腕系が生え出ている系統図になり、もしかするとこれが人種や文化を問わずに共通する、人間の右利き多勢の理由なのかも知れない。

 ここまでやってきて実感するのは、まず離脱症状の非対称性の有難味である。全くの左右一律にやられていたら同時の同レベルに生物としてのイチ機能が丸々へばってしまい、これほど山あり谷あり試行錯誤できる離脱過程にはなっていない。左右一対あって、左右差がついているから助かっている【606】

 視覚・聴覚の空間環境検知のため目と耳はまず左右対称、これらが移動装置たる足と、高機能マニピュレーターの手を備えるとすると、併せてひっくるめて全て左右対称とするのが合理的設計だ。
 だが機能喪失までも左右対称に喰らっては生存確率が低下する。一番シンプルで全身隅々に有効な左右差、これが心臓の左偏移だったりするのではなかろうか。

 確認があやふやで事実誤認の可能性はあるのだが、忘れたくないので書き落としておくと、ここへ来て大きな傷にはならないものの肘の内側や膝裏、手首足首など関節近辺がよく荒れて粉を吹く。実は就寝中に関節付近がトクトクトクトク…と脈拍より速い周期で振動する現象がしばしば感じられていて、これはもしや身体じゅうの関節や筋肉に独自ローカルの作動制御と記録保存の機能が備わっており、そのデフラグ処理ではないかという気が少ししている【628】
 実際、首は痛むわ粉は落ちるわ耳鳴りは酷いわで長らく楽器から遠ざかっているのだが、この不調期以前に何十年来どう試しても身に付かなかったことが幾つか、知らない間にできるようになってしまっているのだ。

 関節あるいは四肢単位ぐらいで情報処理ハブ中枢機能が備わっているとすると、『人体は右手だけ独立系、故に右利き文明』となる道理はありそうに思う。武器を持って対人格闘した原始人たちの頭蓋骨は左半球の損傷率が高いというが、生存ロバスト性向上の非対称性=心臓左偏移と、それに基づく身体制御系マップが人間の右利きを決めていたのなら、そんな原始時代にまで遡って右利き多勢が確認されるというのは十分にあり得る。

 ここ数ヵ月、訳あって立て続けに弦楽クラシックの演奏現場に遠近ふた通りで立ち会う機会に恵まれた。その奏者たちを眺めていて、
  『自由に動き回り弦を弾き鳴らす右手vs自在に受け止め対応する楽器+左手+上体』
の協業イメージがあると見受けるのだが、いかがだろうか?
 バイオリンやビオラほど派手に判りやすい運動系コントラストは感じられないが、ラッパ類なんかも似たような協業イメージが見出せると思う。吹奏楽やってる学生さん方、いろいろ実験して面白いコト考えてくださいましよ。
 今の私は、ここまで解っていてまだ身体が楽器に向かおうとしないし耳が音楽を聞こうとしない。ファスナーをちょい開けで姿をチラ見確認し、愛車からいつものCDを引張り出して聴力チェックしたら、溜息ついて今はそこまでである。
 散々に悔しいけれど、まあこんなの大したことではない。何しろこうなっていなければ一生思いつけなかった。

 実は上半身よりぼんやりしているのだが、『人』の字は腹から下にもうひとつある感じで、もしかすると歩行における『支持軸の左足vs機動先導の右足』の役割分担と関係あるのかも知れない。競技場・運動場のオーバルトラックが基本的に左回りになっている理由はこれだと言われている。
 学校教育において、体育とは『一般的なスポーツは体験がてら知っておきましょう』的な1コマになっている訳だが、いずれは効率良い自己制御の能力開発を習得するための、もっと保健や音楽や理科と混ぜこぜにした1コマにした方が良いのかも知れない【214】
 更に拡張して、成長期の子供に施す学校教育だけではなく、むしろ加齢による身体機能の低下を総合的に食い止め組織認知症の発症率を下げ、せっかくの人生の知見を世のため人のため建設的なチャレンジに昇華しようとする人口比率を増やす方策を編み出せないかと思っている。
 ここでは随分なことも書いているが、もう改善の見込めない組織認知症患者は社会から隔離する勢いで消せとまでいうつもりは毛頭ない。人がいるんなら皆で楽しく幸せに組合わせる手を探そうよ、そういうコトだ。ここに美談めいた論拠はなく、人間が寿命を延長したのなら、社会人としての組織性も相応に延長しないと、社会組織という上位スケール生物が狂い死にする運命を辿るだけなのである。

 話を戻して、焦熱感と発汗と炎症痛は相変わらず引きずっているのだが、実は免疫力発動のぞっとする感覚も、懐かし系の長編ストーリーの夢も、どうやらその時期を終えたらしい。大脳の一定機能部位が離脱プロセスを完遂したか。
 先が見えないヤク離脱過程をここまで消化してきた私だが、考え得る最大限の加速操作を試しながら、何をどこまでできるか思いつく限りの実験を経て、そりゃ思い通りでは全然ないけれど、想定外の成果物も本当に数多く刈り取った。一寸先は闇、ならばバカ正直のマジメ一徹が納得の回答を導き出す。

 社会の誰がこれを喰らうかという人選があったとして、やっぱ私だったんだろうな。
 さて、次回はまた情報で考える人間社会組織の話を続けようか。
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