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【612】エモいAI、made in Japan再考案 [ビジネス]

 いきなりの横道で、ここ最近の『狂乱仮想通貨潰し』とも言うべき見苦しい騒ぎについて。

 端的に、問題は『愚政により日本円が納得性の無い痴呆納税ツール化してしまって、自分の能力相応にフェアな経済生活を送りたい人々からは見放されている』という事実であり、その『見放された日本円』に代わる別解のひとつとして、今たまたま仮想通貨が選ばれただけのことである。
 不正操作されて大損害を出したという某民間取引会社の関係者一同も、『おいくらソンしました』とわざわざ人前で恥を晒す生活のしんどそうな面々も、もしかしてどこぞの誰ぞにそそのかされてお手軽バイトでやってたりすんのかな…なんて考えるのは、性悪な私くらいのもんか。ナニがどこまでホントなのか、ともあれあんまり社会の情報力をナメない方が身のためだと思うんだが、そんな助言に響く知能が期待できそうな連中とも見受けない。

 面白いのは、そそのかしたは良いけれど、そそのかされる側に理解のバラツキがあり、結構な比率で『ただの仮想通貨潰し』がそのまま点稼ぎに直結すると思い込んで、見境なく『仮想通貨はアブナイ』のノリで吹聴してしまっていることだ。
 日本国の慢性ダメ財政が、どうしようもなく積み上がった国家債務を誤魔化してパーにする自爆テロの仕込みのため、大手銀行主導と見せかけつつ日本円と等価可換の『仮想通貨もどき』をまず立ち上げようとしているのに、これじゃ迂闊に公的コインGO!!と呼び声が掛けられない。
 この早々に『仮想通貨も仮想通貨らしきものも、安心安全のリアル日本円と違って超キケン、だから国を挙げて袋叩きにして執拗な監査でイジメ倒しているのだよん』という構図があからさまに目立って広く認知されてしまった。
 ま、いいか。日本円と等価可換な大手銀行主導の仮想通貨もどきは、一体ナニがどんな仕組みで民間と格が違う、本質的な高次元セキュリティが確保されているのか、みんなで解りやすく完璧な解説を待とうじゃないの。

 再度、本件どんなフォローがついてくるのか知らないが、つまるところ『リアル日本円と、それにまつわるアンフェア税制が全く信用できない』という愚政への不信は変わらない。
 本当に頭の良い人たちによる次世代経済媒体の新概念および、その現実操作ツールの策定と開発は進化し続けるワケで、次の展開が楽しみである。

 おっとっと、もうカネの話題は置いといて、でも別の横道になるのだが忘れないうちに。
 前回の終わりに少し書きかけた、人の感情構造を考えるにあたっての『民族メンタリティ別 変動プログラム領域』のハナシである。
 喜怒哀楽は人間共通、というか動物たちにまで共通の感情体系だが、人間の場合は少なくとも民族の相違によって、喜怒哀楽の意識構造全体への組み入れられ方が違っているとする考え方があるのだ。

 確かまだ昭和のうちだったと思う。日本では『エクソシスト』『13日の金曜日』など輸入ホラー映画がブームになっていた。海外旅行もまだまだ一般庶民のお手軽レベルではなかったし、何かにつけ今より遥かに『外国は違うなあ』と意識する話題が取り上げられやすい時代だったのだ。
 この手のホラー映画といえば、パツキンのお姉ちゃんがキャーキャーうるさいばかりで悪霊との対戦にはさっぱり役に立たず、日本人の目から見れば感情的すぎる思考停止の足手纏いっぷりにイライラが募る。あのどうにもワザとらしい定番の演出って好きになれなくてね、という声もよく聞いたものだ。
 そう、国内制作のホラー映画において、大和撫子たちは最後の最後まで諦めず、時に戦い時に逃げ続けながらも事態の打開方策を探す。

 ここで話題は突然に交通事故へ。まあ続けて読んでみてくださいな。
 女性運転者の事故を調査すると、欧米では割と早々にステアリングを放り出して両手で顔を覆う傾向があるのに対し、日本国内では結構ギリまで懸命に回避操作を頑張っているケースが多いという。
 つまり欧米人女性は、恐怖にかられて思考回路のブレーカーが落ちやすいというのだ。これは民族違いでDNAレベルの精神構造の差異があるためで、ホラー洋画に見るパツキン姉ちゃんたちのポンコツな取り乱し方は、実は欧米文化にとって決して大袈裟な誇張ではないのだと。テレビだか紙面記事だかで、そんな解説をやっていたのである。

 そう言われると納得しちゃうんだけど、ふうん、そんなもんかねえ…と思っていた数年後、職場がインターンで迎えた米人大学生が言うには、『俺の母ちゃん夫婦喧嘩でアタマに来ちゃって、自分の車に飛び乗り、父ちゃんの車の横っ腹に突込んだことあるよ』
 おおおキター、これかよ!この実話で妙に腑に落ちた記憶がある。

 例えば我々日本人の場合、『ひなまつり』『さくらさくら』など楽しい祭りごとや華やかな風景を歌うのに、一種もの悲しくさえ響く素朴なマイナーコードの曲が使われている。個人的にはこのメンタリティは日本人の感情文化の特徴のひとつだと思っており、高度経済成長期以降にダサく貧相なもの扱いされて影が薄くなってしまっているのは大変残念である。
 近年のエンタメ楽曲は判りやすく単純化され過ぎた響きでばかり構成されており、だから底が浅く記憶に残らず、長く歌い継がれないのではないだろうか。
 グローバル時代の現代だからこそ、こういった日本の心はきちんと研究され強化されるべきであり、特に初等教育において質・量の両面で、大幅な見直しがなされることを願う。

 こういうことを考えるに、『日本人っぽいAI』『アメリカかぶれしたAI』『ドイツ人気質のAI』などなど、実は音声作動に使う言語の違いだけではない勢いで、設計から違うはずなのである。
 まあ意識や感情が、それらの概念単独でイチ系統のプログラムに収まってくれるとも思えないが、もしかして随分と原理的なプログラム基本骨子の領域で、呆れるくらい互換性のない何かが見えてくるのかも知れない。

 ああ、久し振りに早朝の上り新幹線で作文してたら、次世代新組織の話に到達する前に、こんな小ネタ二題の内容になりました。
 面白いので、ちょっと拡げてみても悪くなさそうな気がするな。
 新規AI設計コンセプトのヒントにでもなったりしないかな。
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