【45】拡がらない世界の中で [ビジネス]
昨日頂いたトラックバックを読んでいたら、近々書こうと思っていた話題が目に留まった。
『若者のクルマ離れ』である。
その原因は格差社会にあり、クルマを買いたいと思っても買えない若者が増えているという論旨の記事であったが、私は違う見方をしている。
趣味で某所の音楽スタジオに顔を出すようになって、かれこれ10年にもなるのだが、そこで二十歳前後の人たちとも何人か知り合った。
そして21世紀になってすぐの頃、音楽に入れ込んでいる人種とはいえ、彼らのクルマに対する興味があまりに薄いことに気付いたのである。運転免許も持っておらず、しかもそれが恥でも負い目でもない。あれば役に立つという程度の認識で、敢えて欲しいとも思わないようだ。
『クルマ持つと金もかかりますからね』という彼らの言葉を聞く限り、経済的要因は二次的以下にしか効いていないと思われる。
20年ほど前といえば、運転免許を持たない男など人間扱いされないと言ってもいいくらいであった。友人うちでクルマの保有率は2~3割に過ぎず、あとは家にクルマがあるという程度。
因みにこの時代『クルマを持っていること』が彼氏への要望のトップランクに位置していた。雑誌に『彼氏のクルマが軽自動車なのですが・・・』みたいな人生相談さえ載っていたのを思い出す。
免許を持たない若者にとっては実に滑稽に感じられるらしく、不思議そうな表情で聞いて笑っていた。
当時は私も含めて、数万~数十万円のポンコツ中古車を探してくるのが主流であったが、とにかく公共インフラの限界から解放され『いつでも、どこにでも行ける』という喜びの大きかったこと。実際、友達と誘い合わせてほうぼうに貧乏ドライブ旅行をしたものである。
表現が難しいが、初めて校区外へ自転車で遠乗りしたり、初めて子供だけで電車に乗った時のような『世界の果てのブレークスルー』として、記憶に残る一大ステップだったような気がする。
我々の子供時代、特に男の子は、見知らぬ外の世界に強い好奇心と憧れを抱いていた。
現代の若者たちにはそれが感じられない。
情報が溢れすぎて、世界の全てが既知と感じられてしまうのか、
子供の世界の制約が緩みすぎて、ぶち破るべき境界が意識されないのか。
内から外に向かうがむしゃらなエネルギーを持ち合わせていないようなのだ。
良いか悪いかはともかく、なぜそうなるのか。
『親の背を見て子は育つ』などと申しますが・・・
走り回って外の世界を感じなければ、その無限の拡がりに心躍らせることもないだろう。
『子供の人権』などと、おのれの未熟を筋違いの擁護で弄ばれたりすれば、
反抗期に半人前扱いの抑圧を叩き破って、自由とともに一人前の責任感を掴み取ることもできないだろう。
だが、現代の若者が昔並みの勢いでクルマを持ったら、交通の規律が手のつけられないレベルで崩壊し、環境破壊も桁違いの勢いで悪化するはずである。新車販売の低迷に手を打ちたいなら、それで全社会的な幸福が展開していく方策を取らねば長期的な効果は期待できない。
もの作りの基本中の基本ではないか。
若者のクルマ離れは、現代日本社会への神様のプレゼントだとさえ思えるのである。
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